藤原鎌足は鹿島神宮に参詣する途中、鎌倉に宿泊した折、夢に現れた老人から、
「鎌槍をこの地に埋めれば天下はよく治まる」
というお告げを受け、白狐に案内されて現在の浄妙寺の裏山に所持していた鎌槍を埋めたという伝説が残されています。
(※鎌足の伝説は、鶴岡八幡宮の大臣山にも残されています。)
この「鎌槍」から「鎌倉」という地名が生まれたといいます。
鎌足稲荷神社
鎌足は幼いときに稲荷大神より鎌を授けられたといいます。
|
鎌足はこの地に鎌槍を埋め祠を営んだといわれています。
それが鎌足稲荷神社の始まりです。 |
藤原鎌足は、中大兄皇子(のちの天智天皇)に仕え、大織官を授けられ藤原姓を賜りました。平安時代に摂関政治を行った藤原氏の祖となります。
甘縄神明神社を創建したという染谷時忠は鎌足の子孫とされ、長谷寺開基の藤原房前は鎌足の孫といわれています。
「鎌倉」という地名が記された最も古い文献は、712年(和銅5年)に太安万侶によって献上された『古事記』です。
景行天皇の条には、「足鏡別王(あしかがみわけのみこ)は、鎌倉の別(わけ)・小津、石代の別、漁田の別の祖(おや)なり」と記されています。
日本最古の歌集『万葉集』にも鎌倉の歌が4首含まれています。
甘縄神明神社の歌碑
「鎌倉のみ越の崎の石崩の君が悔ゆべき心は持たじ」
稲村ヶ崎のことだともいわれていますが、
どちらかなのでしょうか・・・。
|
稲瀬川の碑
「ま愛しみさ寝に吾は行く鎌倉の美奈の瀬川に潮満つなむか」
|
綾瀬市宮久保遺跡から出土した木簡は、鎌倉郡鎌倉里に住む軽部某が納めた租税の稲を鎌倉郡家から送る際に付けたもので、「天平5年(733年)」の銘があります。
神奈川県立歴史博物館で観ることができます。
鎌足桜
藤原鎌足が木更津市にある高蔵寺(高倉観音)を参拝した際、
持っていた桜の木の杖を地面にさすと根付いたと伝わる桜です。
|
浄妙寺
https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html