別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月9日火曜日

大師道~薬師堂ヶ谷:覚園寺参道~

薬師堂ヶ谷の覚園寺は、二代執権北条義時の建てた大倉薬師堂を前身としています。薬師堂ヶ谷という地名も「大倉薬師堂」を由縁としています。

1296年(永仁元年)、九代執権北条貞時は、智海心慧を開山として「覚園寺」という寺号を定めました。

道 標
鎌倉宮のバス停付近の道標です。
「弘法大師八十八箇所道」と刻まれています。
覚園寺の裏山には「百八やぐら」と呼ばれるやぐら群があります。
かつて、そのやぐら群に弘法大師像が八十八体置かれていたといいます。

前方の道が覚園寺の参道です。

なんとなく鎌倉らしい懐かしさが残された道です。

庚申塔
ここが覚園寺の総門があった場所といわれています。
奥へ続く細い道は、百八やぐら天園ハイキングコースへと続く道です。

大楽寺跡
庚申塔からすぐの覚園寺の駐車場には、大楽寺があったといわれています。
大楽寺は胡桃ヶ谷にありましたが、
1438年(永享10年)、鎌倉公方足利持氏が、
将軍足利義教に対して起こした永享の乱によって焼かれてしまったため、
薬師堂ヶ谷に移されたと伝えられています。
願行の開山といわれ、伝説が残る愛染堂の「試みの不動」は大楽寺の本尊でした。
(参考:大山寺(伊勢原市))
愛染堂は大楽寺から移築されたものです。

覚園寺
覚園寺は、鎌倉らしい面影を残した寺です。

もみの木
関東一の大きさといわれています。

六浦道の岐れ道の道標です。
大師道と刻まれていますが、この大師堂とは覚園寺のことのようです。


鎌倉手帳
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