別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年4月27日水曜日

清水冠者と呼ばれた木曽義仲と木曽義高




木曽義仲の嫡男で鎌倉に人質として送られてきた義高は「清水冠者」と呼ばれます。

「冠者」とは元服したばかりの若者のこと。


では「清水」は・・・

地名と考えるべきなのでしょう。


参考までに・・・

義高の父義仲も「清水冠者」と呼ばれていたのだといいます。

義仲が生まれたのは武蔵国の大蔵館(現在の埼玉県嵐山町)。

隣地の鎌形には七カ所の湧水があって、古来より「鎌形の七清水」と呼ばれていたそうです。

その一つが鎌形八幡宮「義仲の産湯の清水」

清水の湧き出す地は「清水」と呼ばれる地が多く、鎌形の地も「清水」と呼ばれていた可能性があるようです。




鎌形という名の由来には、鎌倉の鶴岡八幡宮に社殿が似ているからという説があるようです。


義仲産湯の清水




義高も鎌形で誕生したという言い伝えもあるようですが、木曽谷の義仲館で生まれたと考えるべきなのでしょうか・・・

木曽谷にも清水と呼ばれた地がたくさんあったのかもしれません。

義高の出生地については、全国各地に伝説が残され、小諸市の「弁天の清水」や松本市の「槻井泉神社の湧水」などが「清水冠者」の名の由来とされるているようです。


(木曽町:旗挙八幡宮)

旗挙八幡宮の周辺が義仲館だったようです。




木曽義仲

木曽義高

巴御前

今井兼平


木曽義高の誅殺







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2022年4月26日火曜日

義時・八重姫夫妻の息子と義村の娘


「鎌倉殿の13人」第16話では、北条義時八重姫の子は源頼朝に金剛と名づけられました。

のちの北条泰時です。


そして、第16話に登場したのが三浦義村の娘。

おそらく、1202年(建仁2年)8月23日に泰時と結婚することになる娘という設定なのかと・・・・


『吾妻鏡』によると、義村の娘との結婚は、1194年(建久5年)2月2日の元服式で三浦義澄が頼朝の側に呼ばれ、孫娘を娶らせる約束をしていたからなのだとか。

二人の間には、翌年長男の時氏が誕生しますが、その後、泰時は義村の娘と離婚。

義村の娘は、佐原盛連に再嫁して光盛・盛時・時連を産み、盛連の死後に出家して矢部禅尼と称しました。


八重姫は・・・

『吾妻鏡』によると、義時は1192年(建久3年)9月25日に比企朝宗の娘・姫の前を正室にむかえているので、その前に亡くなっているのかもしれません。

何か悲しい事件が起こって、伊豆の国市の真珠院に伝えれるように入水してしまうのかも・・・


(鎌倉:常楽寺)


北条泰時は、裁判の迅速化を図るための連署評定衆の設置し、武家の法典である「御成敗式目」(貞永式目)を制定した人物。

北条執権体制の基礎を固めました。



八重姫

北条義時

北条泰時


三浦義村

姫の前







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巴御前は、木曽義高の母?和田義盛の後妻?


巴御前は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場するのみで、鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』には一切登場しません。

したがって、実在した人物かどうかは不明です。

しかし、信濃国木曽谷で木曽義仲とともに育ち、ともに戦った女武者として語り継がれてきました。


(木曽町:義仲館)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16話では・・・

源範頼源義経に攻められて都を落ちた木曽義仲は、巴御前に落ち延びて鎌倉の義高に手紙を渡すよう諭します。

そして、巴御前は義仲の言うとおり、和田義盛の軍に捕らえられたようです。

気になるのは、巴御前と義高との関係。

今日では義高の母は中原兼遠の娘とする説が有力のようです。

兼遠は義仲の乳母父。

義仲は父の義賢が討死した後、兼遠に預けられて育ったのだといいます。

そして、巴御前も兼遠の娘という説があります。


徳川光圀が編纂させた『参考源平盛衰記』によると・・・

義高巴御前が産んだ子。

義仲に戦場を去るよう言われた巴御前は、信濃に帰っていましたが、鎌倉の頼朝に召喚され、義高と対面しているようです。

その後、処罰されるはずでしたが・・・

和田義盛の請いにより後妻になることが許されたのだといいます。

そして、生れたのが大力武勇の猛者として知られ、のちの和田合戦で奮戦した朝比奈義秀なのだとか・・・




(小田原市:善栄寺)

善栄寺は、巴御前が木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために建てた寺と伝えられています。



巴御前

和田義盛

木曽義仲

朝比奈義秀


木曽義高の誅殺








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2022年4月25日月曜日

人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり~熊谷直実~


(須磨寺:源平の庭)


1184年(元暦元年)、一ノ谷の戦い熊谷直実が討ち取ったのは平敦盛16歳。

我が子と同じ年頃の敦盛を討った直実は、この世の無常を覚えました。

のちに法然のもとで出家した直実は、人の世の儚さを

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・・」

と詠んだのだといいます。


織田信長が特に好んで演じたのがこの節。


仏教の世界における「化天」(下天)の寿命は500歳。

それに比べたら・・・

「人間の50歳など、その一日にしか当たらない。幻のようなものだ」

という意味なのだそうです。








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

一ノ谷の戦い

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い


源義経


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平敦盛の首塚と胴塚~一ノ谷古戦場~

敦盛の首塚
(須磨寺)


一ノ谷の戦い熊谷直実に討たれた平敦盛。

敦盛は、平清盛の弟・経盛の末子。

1184年(寿永3年)2月7日、源義経の奇襲で一ノ谷の平家軍が劣勢になると、敦盛は騎馬で海上の船に逃れようとするが、熊谷直実に呼び止められてしまう。

取って返した敦盛を直実は馬から組み落として首を斬ろうとするが、我が子・直家と同じ年頃の若武者を見て躊躇したのだと伝えられている。

このとき敦盛は16歳(17歳とも)。

涙ながらに敦盛の首をとった直実は、のちに世の無常を感じ出家している。

須磨寺の敦盛塚には首が葬られ、須磨浦公園の敦盛塚には胴体が葬られているのだとか。


敦盛の胴塚
(須磨浦公園)



一ノ谷古戦場









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源義経


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