別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年4月26日火曜日

義時・八重姫夫妻の息子と義村の娘


「鎌倉殿の13人」第16話では、北条義時八重姫の子は源頼朝に金剛と名づけられました。

のちの北条泰時です。


そして、第16話に登場したのが三浦義村の娘。

おそらく、1202年(建仁2年)8月23日に泰時と結婚することになる娘という設定なのかと・・・・


『吾妻鏡』によると、義村の娘との結婚は、1194年(建久5年)2月2日の元服式で三浦義澄が頼朝の側に呼ばれ、孫娘を娶らせる約束をしていたからなのだとか。

二人の間には、翌年長男の時氏が誕生しますが、その後、泰時は義村の娘と離婚。

義村の娘は、佐原盛連に再嫁して光盛・盛時・時連を産み、盛連の死後に出家して矢部禅尼と称しました。


八重姫は・・・

『吾妻鏡』によると、義時は1192年(建久3年)9月25日に比企朝宗の娘・姫の前を正室にむかえているので、その前に亡くなっているのかもしれません。

何か悲しい事件が起こって、伊豆の国市の真珠院に伝えれるように入水してしまうのかも・・・


(鎌倉:常楽寺)


北条泰時は、裁判の迅速化を図るための連署評定衆の設置し、武家の法典である「御成敗式目」(貞永式目)を制定した人物。

北条執権体制の基礎を固めました。



八重姫

北条義時

北条泰時


三浦義村

姫の前







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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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