別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年12月12日木曜日

紫式部の歌~京都・越前・琵琶湖の歌碑~


★幼い頃からの友に出逢ったときの歌

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな





嵯峨嵐山歌碑



☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★上賀茂神社の片岡社で詠んだ歌。

ほととぎす 声まつほどは 片岡の
森のしづくに 立ちやぬれまし





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前に下向する途中で詠んだ歌

三尾の海に 網引く民の てまもなく
立居につけて 都恋しも





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前に下向する途中で詠んだ歌

知りぬらむ 行き来にならす 塩津山
世にふる道は からきものとは





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前で初雪が降った日に

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪
小塩の松に けふやまがへる






☆ ☆ ☆ ☆ ☆


藤原宣孝の求婚の文に対する返歌

春なれど 白嶺の深雪 いや積り
解くべきほどの いつとなきかな





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★「早く都へ戻りたい」

ふるさとに 帰る山路の それならば
心やゆくと ゆきも見てまし





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★帰京途中に沖島を望んで

おいつしま 守りの神や いますらん
波もさわがぬ わらわえの浦







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彰子に仕えた時に詠んだ歌

身のうさは 心のうちに したひきて
いま九重に 思ひみだるる












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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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鎌倉殿と武家の都が誕生した日


1180年(治承4年)10月、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った源頼朝は、由比郷にあった鶴岡若宮(由比若宮)を小林郷北山に遷し、鶴岡八幡宮を中心とした街づくりを始めます。

同時に、先祖・源頼義が館を構えていたという大倉郷に御所の建設を始めました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)12月12日、源頼朝大庭景義が大倉郷に建てていた新造の御所に移ります。

午前10時頃、水干を着た頼朝が上総広常の屋敷を出発。

馬は石和栗毛。

和田義盛が先頭、次に頼朝、頼朝の左には加々美長清、右には毛呂季光。

続いて北条時政北条義時足利義兼、山名義範、千葉常胤、千葉胤正、千葉胤頼、安達盛長土肥実平岡崎義実、工藤景光、宇佐美助茂、土屋宗遠、佐々木定綱佐々木盛綱らが従い、一番最後は畠山重忠でした。

御所に到着して頼朝が寝殿に入ると、供の者たちは侍所に対座。

その中央に座ったのは侍所別当の和田義盛でした。

出仕した者は311人。

そして、頼朝は「鎌倉の主」に推戴されました。

鎌倉殿の誕生です。



若宮大路


鶴岡八幡宮を中心に整備された鎌倉には、御家人たちも宿や館を構えました。

鎌倉は辺鄙な所でしたが、街中の道を真っすぐにして、郊外の村にも名が付けられ、家が建てられたのだといいます。

鎌倉殿の誕生とともに武家の都も誕生したということなのでしょう。





鶴岡八幡宮は、北条時政の先祖といわれる平直方から鎌倉の地を譲り受けた頼朝の先祖・頼義が創建しました。

源氏の氏神・石清水八幡宮の祭神をお迎えし、由比郷鶴岡の地に創建されたことから鶴岡若宮(由比若宮)と呼ばれていました。



(大倉御所跡)

頼朝の御所鶴岡八幡宮の東側に建てられました。

御所は、のちに大倉幕府(鎌倉幕府)と呼ばれます。

鎌倉幕府とは鎌倉の武家政権のことで、その成立時期については様々な意見があるようですが、頼朝が幕府という語を使ったことはないようです。

武家政権=幕府とされたのは江戸時代後半のこと。

したがって、徳川家康に「江戸幕府」と言っても「何の事?」と言われてしまうのかもしれません。

参考までに・・・

鎌倉検定では、武士として初めて幕府を開いた人物を頼朝としていますが、武家政権を樹立させたのは平清盛

近年では清盛の六波羅福原も幕府であるという提唱がなされています。




歴史めぐり源頼朝


源頼朝挙兵

源頼朝鎌倉入り








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2024年12月11日水曜日

江の島の弁財天~2025年は巳年、蛇は弁財天の使い!~


八臂弁財天

江島神社の八臂弁財天は、国の重要文化財に指定されている尊像。

源頼朝奥州平泉藤原秀衡調伏のために、文覚に命じて勧請したものとも言われてきました。

ただ、文化審議会の答申によると、運慶派の特徴が顕著で、1230年代に幕府や御家人の関与を得て同派の仏師により造られたと推定されているようです。



妙音弁財天

江島神社には、妙音弁財天も伝えられています。

裸像で「裸弁財天」と呼ばれています。

女性の象徴を全て備えた尊像で、鎌倉時代中期の作と考えられています。

鶴岡八幡宮弁財天も「裸弁財天」と呼ばれますが、鎌倉時代には裸の像に衣服を着せて、生きている仏のように拝むという信仰があったのだとか。




八臂弁財天と妙音弁財天は、江戸時代まで中津宮に置かれていましたが、現在は辺津宮にある奉安殿に置かれています。

奉安殿は、大人200円・中高生100円・小学生50円・小学生未満無料です。


弁財天の使いは蛇。
蛇=巳
巳の日には蛇が弁財天に願いを届けてくれる!

2025年(令和7年)巳年の初巳の日は1月12日。




鎌倉江の島七福神

藤沢七福神めぐり


江の島









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2024年12月10日火曜日

蛇窪神社(白蛇様)・白蛇辨財天社の銭洗い



東京の品川区にある蛇窪神社は、北条重時の子時千代の家臣が建立したと伝えられる神社。

白蛇大神や蛇窪龍神を祀ることから「白蛇様」とよばれています。



境内の白蛇辨財天社は、『白蛇縁起』によって建立された霊験あらたかな社。

白蛇辨財天社の銭洗いは・・・


白蛇種銭

白蛇種銭を授けていただき、

銭回し

石臼の金杯に置いて、時計回りに3回まわす。

銭洗い所

ザルに白蛇種銭と自分の銭を入れて、白蛇清水で清め、白蛇辨財天社にお参り。

清めた白蛇種銭は自宅で保管します。

お礼参りの際には、保管していた白蛇種銭を納め棒につないで、新たな白蛇種銭でお参りをして、新たな願いを祈ります。




2025年(令和7年)は巳年。

新年の初巳の日は1月12日。








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京都は七福神発祥の地
都七福神


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