『紫式部日記』によると・・・
1008年(寛弘5年)9月9日、紫式部は源倫子から「菊の着せ綿」を贈られました。
中宮付き女房が持ってきて
「念入りに老いを拭い捨てなさい」
という倫子の言葉が伝えられたのだといいます。
9月9日は、不老長寿や繁栄を願う五節句の一つ「重陽の節句」。
「菊の着せ綿」は、その前日に菊の花を真綿で覆って香りを移しとり、9日の朝に夜露で湿った綿で体や顔を拭うというもの。
菊は高貴や不老長寿の象徴。
「菊の着せ綿」は「老いをぬぐい去る」とされ、千年も寿命が延びるとされていました。
感激した紫式部は「菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」とお礼の歌を詠みました。
(この菊の露に私ごときはほんのちょっと若返る程度に袖をふれるだけにとどめまして、この露がもたらす千年もの歳は、花の持主であるあなた様にお譲り申しましょう)
しかし、その時はすでに倫子が自分の部屋に帰ってしまったので「菊の着せ綿」は手元にとどめることにしたのだとか。
この日の2日後、一条天皇の中宮・藤原彰子が第二皇子となる敦成親王を出産しています。
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