別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


検索




ラベル 鎌倉殿の13人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 鎌倉殿の13人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年4月21日日曜日

紫式部が暮した越前武生には源義経も。




『義経記』によると・・・

壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かったのだといいます。

義経は唐崎の松比叡山日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦へ。

海津浦から愛発山を越えて敦賀に至り、気比神宮で祈願した後、木ノ芽峠を越えて越前武生に辿り着いたようです。




義経が越前に下る190年前、紫式部も越前にやってきました。

紫式部公園は紫式部の越前下向を記念して整備された公園です。



源義経


紫式部



紫式部の越前下向



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語


紫きぶ七橋


光る君へ 越前 大河ドラマ館


よりともジャパン.com


2024年4月13日土曜日

八重姫の梯子供養~伊豆の国市:真珠院~




父の伊東祐親が大番役で在京している間に、流人だった源頼朝と恋仲となった八重姫

千鶴丸という男児も授かりますが・・・

それを知った父祐親は許さず、千鶴丸を殺害し、八重姫を伊東館に幽閉しました。

頼朝は北条時政を頼ったようです。


嘆き悲しみの幽閉生活を送った八重姫ですが、頼朝に会いたい一心で伊東館を抜け出して北条館へと向かいます。

しかし、頼朝は時政の娘政子と結ばれていました。

傷心の八重姫は、真珠ヶ淵に身を投げたのだといいます。





八重姫梯子供養は、「せめて梯子あったら救うことができたのに」という里人の想いから始められたという祭。

今日でも、願い事が叶った際には、小さな梯子を供える習慣があるようです。




かつて、真珠院の南には「真珠ヶ淵」という深い淵があったのだそうです。



八重姫

千鶴丸


伊東祐親


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地


北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~


歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2024年4月8日月曜日

鎌倉で舞った静御前


静先ず歌を吟じ出して云はく

吉野山峯ノ白雪フミ分テ、入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ

次に別物の曲を歌う之後、又和歌を吟じて云はく、

シヅヤシヅ~ノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニナスヨシモガナ

誠に是社壇之壯觀、梁の塵殆んど動く可し

上下皆興感を催す




京の白拍子だった静御前

源義経に気に入られ妾となりました。


源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。

義経一行は九州へ渡るため摂津国の大物浦から船出しますが難破。

わずかな郎党と静を連れて吉野山に身を隠しますが・・・

義経と静は吉野山で別れます。


その後、蔵王堂に辿り着いたところを捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました。

安達新三郎清経邸が宿舎とされたといいます。

そして、頼朝から鶴岡八幡宮で舞うように命じられたのは4月8日の灌仏会のときでした。



静の舞


吉野山 峰の白雪 ふみわけて入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し昔を今に なすよしもがな


神殿の梁に積もった塵をも動かすほどの見事な舞だったそうです。

見ている人は上下の別無く感動をしました。





静の舞


静の舞



鶴岡八幡宮








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


吉野山

金峯山寺


源義経


よりともジャパン.com


2024年3月30日土曜日

義高の鯉のぼり2024~大姫が恋した木曽義高の供養~




1183年(寿永2年)3月、11歳の時に人質として鎌倉に送られた木曽義仲の嫡男義高。

源頼朝の娘大姫の許嫁として鎌倉で過ごしていましたが、翌年1月、父の義仲が粟津の戦いで討死にすると・・・

4月、義高も頼朝に誅殺されてしまいました。

義高の鯉のぼりは、若くしてこの世を去った義高の供養のために始められたのだそうです。

義高終焉の地とされる狭山市の入間川河川敷には、ゴールデンウィークに約300匹の鯉のぼりが掲揚されます。



義高の鯉のぼり共催




義高の鯉のぼり



木曽義高の誅殺


木曽義仲

大姫

北条政子

巴御前


源義経








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


検索

Translate