995年(正暦6年)正月、関白・藤原道隆は次女の原子を皇太子・居貞親王の妃としますが・・・
程なくして病に伏します。
そして・・・
4月3日、関白を辞し、4月6日に出家、4月10日に薨去(享年43)。
道隆は、嫡子の伊周を後継者にしようとしていたようですが・・・
4月27日、関白となったのは、弟の道兼。
しかし、道兼は間もなく病に伏し、5月8日に没してしまいます。
伊周は、関白をめぐって叔父の道長と争いますが・・・
5月11日、一条天皇は道長に内覧の宣旨を下し、6月19日には伊周の上位となる右大臣に任命。
道長が氏長者となり、関白に代わって政務を執ることに。
これには、一条天皇の母・詮子が伊周より優れた資質をもった道長を強く推したことが背景にあったようです。
📎関白にならなかった藤原道長~内覧と摂政と関白~
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