「光る君へ」第8話で、直秀は丹後・播磨・筑紫で暮らしたことがあると語っていました。
「都の外には海がある。
海の向こうには彼の国がある。
晴れた日には彼の国の陸地が見える。
海には漁師がおり、山には木こりがおり、彼の国と商いをする商人もいる・・・
都は山に囲まれた鳥籠だ」
「光る君へ」では、まだ先のことになりそうですが、紫式部は越前に下向します。
当時、越前には彼の国の商人・朱仁聡が滞在していました。
紫式部の父・為時は、彼の国の人と漢詩のやりとりをしたのだといいます。
紫式部も『紫式部集』に「唐人見に行かむといひける人(藤原宣孝)の・・・」と記しています。
恵心僧都も朱仁聡を訪れています。
恵心僧都は『源氏物語』の「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルともいわれています。
須磨は、『源氏物語』の主人公・光源氏が蟄居した地。
『源氏物語』は~須磨・明石の巻~から書き始められたともいわれています。
海では、ときどき漁師たちの塩焼きの煙が立ち上っていたようです。
玉鬘神社は、『源氏物語』の登場人物・玉鬘を祀る社。
幼い頃に母の夕顔を亡くした玉鬘は筑紫へ下り、美しい姫に成長して帰京します。
『源氏物語』には、筑紫の詳しい描写がありますが、紫式部が姉君と呼んでいた筑紫の君からの情報を元にしたのかもしれません。
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