花山天皇に望まれて入内した藤原忯子(弘徽殿女御)。
寵愛を受けて懐妊しますが、病に伏してしまいます。
「光る君へ」第5話では、藤原兼家が安倍晴明に子を呪詛するよう命じたようですが・・・
紫式部の『源氏物語』~葵の巻~では、懐妊中の光源氏の正妻・葵の上が六条御息所の生霊に苦しめられ、夕霧を出産しますが数日後に急死しています。
「光る君へ」でもそういう展開になるのでしょうか。
藤原忯子(弘徽殿女御)に生霊がついたとすると・・・
懐仁親王を生んだ藤原詮子?
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藤原忯子は、985年( 寛和元年)7月18日に急死。
法住寺は、父藤原為光が忯子の菩提を弔うために建立したのだと伝えられています。
(兵庫県三田市)
藤原忯子が亡くなった翌年、花山天皇は元慶寺で出家し、法皇となります(寛和の変)。
晩年、花山法皇は播磨国の菩提寺に隠棲しますが、法皇付きの女官11名が藤原忯子の位牌を持って訪ねてきたのだといいます。
しかし、菩提寺は女人禁制のため、尼となって麓に住み着いたのだとか。
その地は「尼寺」(にんじ)と呼ばれ、忯子と女官11名の墓(十二妃の墓)があります。