別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年12月6日火曜日

北条政子が御家人たちに訴えた源頼朝への恩(吾妻鏡)~承久の乱~




1221年(承久3年)5月14日、後鳥羽上皇が挙兵。

翌日には北条義時追討の宣旨が発せられます(承久の乱)。

鎌倉には5月19日にその報がもたらされ、御家人らの動揺は隠せない状況に。

そんな御家人らに尼将軍・北条政子は、安達景盛に代読させ源頼朝の恩顧を訴えました。


『吾妻鏡』によると・・・

「故右大将軍(頼朝)が朝敵を征伐し、鎌倉に幕府を創って以来、官位といい、俸禄といい、その恩は山よりも高く、海よりも深いもの。

感謝の気持ちは浅くないはず。

しかしながら、反逆者が事実でない事を訴え、道理からはずれた院宣が発せられた。

名声を大切にしようと思う者は、藤原秀康三浦胤義を討ち取り、源氏三代の将軍(頼朝頼家実朝)が遺したものを最後まで守りなさい。

ただし、後鳥羽上皇のもとに参ろうと思う者は、今すぐ申し出なさい」

これを聞いた者たちは、命を懸けて恩に報いる決意を返答したのだと伝えられています。






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