源頼朝が畠山重忠に命じて建立させたという佐助稲荷神社。
伝説によると・・・
源頼朝が、まだ伊豆国の蛭ヶ小島の流人だった頃、病に臥していた頼朝の夢枕に白髯の老人が現れます。
そして、
「汝は平家を討つ天命を負うものである。早急に挙兵して天下を統一すべし」
と告げ、
頼朝の問いかけには、
「鎌倉隠里(かくれさと)の稲荷大明神」
と名乗って姿を消したのだといいます。
1180年(治承4年)、夢のお告げによって挙兵した頼朝は、それから50日ほどで鎌倉入りを果たします。
1185年(元暦2年)には壇ノ浦で平家を滅ぼし、大倉の御所に武家政権の府を誕生させました。
そして、西方の霊地に祠が発見されると、畠山重忠に命じて社を造らせました。
(創建年ははっきりしませんが、建久年間(1190~99)のことといわれています。)
それが、現在の佐助稲荷神社だと伝えられています。
縁結びの観音像が祀られています。
稲荷山の麓の田畑を潤す水源でした。
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