宗悟寺は、鎌倉幕府二代将軍源頼家の側室若狭局が、伊豆の修禅寺で暗殺された頼家の追福のため、比丘尼山に建立した壽昌寺を始まりとしているのだと伝えられています。
若狭局は、1203年(建仁3年)に北条時政に滅ぼされ比企能員の娘。
宗悟寺の周辺が能員の館跡だとされています。
1592年(文禄元年)、武蔵国比企郡を与えられた森川氏俊が比丘尼山の壽昌寺を現在地に移して再興し、宗悟寺と改めて菩提寺としたのだそうです。
比企一族顕彰碑
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鎌倉の若狭局伝説
東松山市の伝説では、若狭局は武蔵国比企郡で源頼家の菩提を弔ったとされていますが、『吾妻鏡』の記事からすると・・・
比企能員の変で死んだものと考えられます(頼家より先に没している。)。
(鎌倉:妙本寺)
1260年(文応元年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、若狭局に祟られて、蛇のような狂態を見せるようになりました。
物の怪となって現れた若狭局は比企ヶ谷の土中にいると言ったのだそうです。
鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復しますが、政村は比企氏の邸跡に若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立したのだといいます。
※比企ヶ谷は鎌倉の比企邸があった場所。
※妙本寺は比企邸跡に建てられた寺。
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