曽我神社は、曽我祐成と曽我時致の兄弟を祀る社。
二人は河津祐泰の子(伊東祐親の孫)ですが、幼い頃に祐泰が工藤祐経に暗殺されてしまったため、母満江が再婚した曽我祐信を養父として育ちました。
幼名は一萬(いちまん)と筥王(はこおう)。
『曽我物語』によると、一萬は13歳のときに養父の曽我祐信を烏帽子親として元服して十郎祐成と名乗ります。
『吾妻鏡』によると、筥王は、1190年(建久元年)9月7日、北条時政を烏帽子親として元服し五郎時致と名乗ります。
~仇討ち~
1193年(建久4年)5月28日、兄弟は源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの時に、父の仇工藤祐経を討ち取ります。
仇討ちの直前の5月16日、箱根権現に参拝した曽我兄弟は、別当の行実から木曽義仲奉納の「微塵丸」と源義経奉納の「薄緑」という太刀を授かったのだといいます。