別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年10月1日月曜日

鎌倉権五郎景政の武勇伝

鎌倉権五郎景政は、桓武平氏・平良文の五代の孫。

16歳で源義家に従って「後三年の役」に出陣し、右目を射られながら奮戦したという伝説が残されています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『奥州後三年記』によると・・・

相模国の鎌倉権五郎景政は先祖より聞えた兵(つわもの)。

僅か16歳で大軍を前にして命を捨てて戦う間、征矢(せや)で右目を射られてしまいます。

※征矢:戦闘用の矢。

その矢は首を貫いて兜の鉢付の板に達していました。

それでも矢を射て敵を討ち取る奮戦をみせます。

その後、陣に帰えった景政は仰向けに倒れてしまいます。

三浦為継が景政の顔を踏んで矢を抜こうとしますが、景政は倒れ伏したまま刀を抜いて、為継の草摺(くさずり)を掴んで突こうとします。

為継が驚いて「何をする!」と言うと、

景政は、

「弓箭(きゅうせん)にあたって死ぬことは、武人として望むところであるが、生きながら他人の足でこの面を踏まれることは我慢ならない。

お前を仇として、我もここで死ぬつもりだ」

と答えます。

言葉を失った為継は、膝をかがめて顔をおさえて矢を抜いたのだといいます。

多くの者がこれを見聞きして「景政の功名並ぶものなし」と語り合ったのだとか・・・


御霊神社


鎌倉坂の下の御霊神社は、鎌倉権五郎景政を祀る社。

景政の屋敷があった場所とも伝えられています。

御霊神社は景政の武勇伝から「目の神様」として信仰されています。






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