別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年10月1日月曜日

石橋山で討死した佐奈田与一義忠と郎党の陶山文三


1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の兵を挙げ、相模国へと進軍した源頼朝

8月23日には石橋山に布陣。

先陣を命じられたのは佐奈田与一義忠。

頼朝から「大庭景親俣野景久を討って手柄をたてよ」の言われた与一は、郎党の文三とともに壮絶な死を遂げます。


石橋山古戦場

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『源平盛衰記』によると・・・

三浦義明の弟岡崎義実の嫡子佐奈田与一義忠、生年25。我と思わん者は組めや」と叫ぶと15騎ばかりで駆け出します。

一方の平家方は、大庭景親、その弟俣野景久長尾定景曽我祐信、山内経俊、稲毛重成熊谷直実ら73騎。

豪雨の中、まず与一に近づいてきたのは岡部弥次郎。

俣野景久と思った与一は、組み伏せて首を討ちますが、景久ではなかったため首を谷間に投げ捨て前進を続けます。

そして、目当ての景久と出会った与一。

組み打ちを始めますが、2人ともに馬から落ち、上になり下になりの乱闘が続きます。

やっとのことで景久を組み伏せた与一でしたが、首を取るため刀を抜こうとしても岡部の首を斬ったときの血糊で鞘が抜けません。

そうこうしているうちに景久の従弟の長尾定景に討たれてしまいました。

そのころ文三は、谷一つ隔てた峰で戦っていましたが、稲毛重成に与一が討たれたことを知らされます。

重成は文三を助けてやろうと「逃げよ」と声をかけますが、文三は敵方に斬り込んで屈強の兵8人を斬り倒した後、討たれたのだといいます。


佐奈田霊社
(石橋山古戦場)

文三堂
(石橋山古戦場)

真田尊
(平塚市)

証菩提寺
(横浜市)





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