『吾妻鏡』によると・・・
1184年(元暦元年)8月8日正午、源範頼が平家追討のため西海へ出発。
旗印を持つ者一人と弓袋を持つ者一人が並んで前を行きます。
紺村濃の直垂に小具足を着けて栗毛の馬に乗った範頼が続きます。
従う武将は、
北条義時、足利義兼、武田有義、千葉常胤、境常秀、三浦義澄、三浦義村、八田知家、八田朝重、葛西清重、長沼宗政、結城朝光、比企宗朝、比企能員、阿曽沼広綱、和田義盛、和田宗実、和田義胤、大多和義成、安西景益、安西明景、大河戸広行、大河戸三郎、中条家長、工藤祐経、工藤祐茂、天野遠景、小野寺道綱、一品房昌寛、土左房昌俊など・・・。
源頼朝は、稲瀬川に設けられた桟敷でこの様子を見物したのだとか。
※このころの鎌倉の西の境界は稲瀬川だったようです。
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