別冊『鎌倉手帳』

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2018年7月30日月曜日

源義経の子

源義経の子は何人いたのだろうか?


○源有綱の妻

『吾妻鏡』には、「伊豆守・源仲綱の次男・有綱が、義経の婿だと称して、他人の所領を奪いとっている」(1185年(元暦2年)5月19日)という記事があります。

源有綱は、以仁王とともに挙兵した源頼政の孫。

祖父の頼政と父の仲綱は平等院で平家に討たれてしまいますが、有綱は伊豆にいたため助かりました。

源頼朝が挙兵するとそれに従い、源平合戦では義経の与力として活躍しています。

さて・・・

有綱が1185年の時点で義経の娘を妻としていたとすると、妻は何歳なのだろうか?

義経は1174年(承安4年)まで鞍馬寺にいました。

このとき16歳。

鞍馬寺にいる間に子をもうけることはあり得ないこと。

すると、奥州平泉時代の子と考えるべきですが、平泉に行って間もなく生まれたとしても10歳。

有綱の妻とするには、ちょっと無理があるようです。

では、『吾妻鏡』の記事は間違えているのか?

というとそうでもないようです。

昔は・・・

例えば、有綱が義経の妹を妻としていたとしても、有綱は義経の婿という書き方をするのだとか。

妹だとすると常盤御前が産んだ子になるのだろうか???


○静御前が産んだ子

『吾妻鏡』には、「義経の妾・静御前が鎌倉で男子を産むが、頼朝は安達新三郎清経に命じて、その子を由比ヶ浜に捨てさせた」(1186年(文治2年)閏7月29日)という記事があります。

静御前は義経の都落ちに同行していましたが、吉野山で義経と別れた後、捕らえられて鎌倉に送られてきていました。

鶴岡八幡宮では、義経を慕う舞を披露しています。


(鎌倉まつり)


○正妻郷御前が産んだ子

『吾妻鏡』には、「義経が妻室男女を連れて奥州平泉へ赴く」(1187年(文治3年)2月10日)という記事があります。

妻室は郷御前のことで、男女は子のことなのでしょう。

それから2年後の閏4月30日、義経は藤原泰衡に攻められて自刃しますが、その時、郷御前と娘を殺しています。

ただ、男子がどうなったのかは不明です。


 義経妻子の墓
(平泉町)






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