清水寺の北総門前の石碑は、成就院の第24世月照上人と、実弟で成就院25世信海上人の歌碑、そして西郷隆盛の弔詞碑。
月照上人は、幕末の尊皇攘夷派の僧。
大老井伊直弼から危険視され、安政の大獄で追われる身となり、西郷隆盛の手引きで薩摩に逃れたが、薩摩藩では受け入れを拒否されてしまいます。
1858年(安政5年)11月16日、死を覚悟して隆盛とともに錦江湾に入水。
隆盛は助けられますが月照上人は非業の死を遂げました。
その翌年には、弟の信海も尊皇攘夷祈祷の嫌疑で逮捕され、江戸で獄死。
のちに隆盛は、弔意の漢詩を詠んだのだといいます。
大君のためにはなにかお(惜)しからん薩摩の迫門(瀬戸)に身は沈むとも
月照
西の海あずま(東)のそら(空)とか(変)はれどもこころ(心)はおなじ君が代のため
信海
相約して淵に投ず、後先無し。豈図(あにはか)らんや波上再生の縁。頭(こうべ)を回らせば十有余年の夢。空しく幽明(ゆうめい)を隔てて墓前に哭(こく)す
隆盛
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鎌倉との繋がりを求めて。