茶室郭公亭跡
郭公亭は、清水寺成就院の月照と西郷隆盛が都落ちの計画を練った茶室。
平成3年まで清閑寺の鐘楼の奥にあったようですが、老朽化が進んだため解体されたのだそうです。
鐘楼の前には「大西郷月照王政復古謀議舊趾」の碑が建てられています。
月照は、大阪の町医者の長男として生まれ、叔父・蔵海の後継として清水寺の成就院の住職となりました。
しかし、尊皇攘夷に傾倒し、安政の大獄では追われる身となります。
1858年(安政5年)、「郭公亭」で西郷と会った月照は、西郷の手引きで薩摩に逃れますが、薩摩藩に受け入れを拒否され、死を覚悟して西郷とともに錦江湾に入水。
西郷は助けられましたが、月照は非業の死を遂げました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉との繋がりを求めて。