別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年11月16日木曜日

相撲の名手:河津祐泰VS俣野景久

河津祐泰之墓参道
(伊東市・東林寺)

1959年(昭和34年)、日本相撲協会が建てた碑。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『曽我物語』によれば・・・

1176年(安元2年)、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるための「狩猟」が催されました。

その折の余興で相撲が行われます。

相撲の名手といわれた俣野景久は21連勝し、最後の挑戦者が力自慢の河津祐泰でした。

河津祐泰は、連勝の俣野景久を、のちに「河津掛」と呼ばれる技で破ったのだといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(参考)

河津祐泰は、この狩りの帰路、工藤祐経によって殺されています。

所領争いが原因だったといわれています。

祐泰の父は伊東祐親

「仇討ち」で知られる曽我兄弟は祐泰の子。

一方負けた俣野景久は、石橋山の合戦での佐奈田与一義忠との死闘で知られてます。


河津祐泰の墓
(伊東市東林寺)

河津祐泰の血塚
(伊東市)


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