扇ガ谷にある阿仏尼のものと伝えられる層塔。
阿仏尼は公家・藤原為家の妻。
1275年(建治元年)、為家が亡くなると・・・
長男の為氏(母:宇都宮頼綱の娘)と為相(阿仏尼の子)の間で相続問題が発生します。
そこで、阿仏尼は為相の正当性を鎌倉幕府に訴えるために鎌倉へやってきました。
そのときの紀行文が『十六夜日記』です。
1279年(弘安2年)10月16日に旅に出た事から名付けられたのだといいます。
墓の台座に刻まれた文字
訴訟は為相の勝訴に終わったようですが、阿仏尼は訴訟の結果が出る前に亡くなってしまったようです。
亡くなったのは鎌倉なのか、それとも京都に戻ってからなのかは不明です。
鎌倉での阿仏尼の住まいは月影ヶ谷だったといいます。