別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年10月1日日曜日

『東慶寺花だより』~江戸時代の駆け込みを描いた小説~

『東慶寺花だより』は駆け込み寺「東慶寺」描いた小説。

鎌倉の佐助に住んだ井上ひさしの作品です。

1808年(文化5年)に東慶寺の蔭涼軒主となった水戸藩の姫君・法秀尼の時代の駆け込みの様子が描かれています。




☆ ☆ ☆ ☆ ☆

昔は女性の側から離婚をすることができませんでしたが、東慶寺に駆け込めば縁を切ることができました。

ただ、女性を救うことというのが建前であって、縁切りだけを目的としていたわけではありません。

東慶寺に駆け込んだ女性は「駆込み女」と呼ばれていたそうです。

駆込み女は門前にあった御用宿に引き渡され、事情を聴かれます。

御用宿での取り調べが終わると、寺飛脚が呼出状を持って夫の所へ駆け、家主や名主らとともに鎌倉に呼びつけられます。

駆けつけた夫方も御用宿に宿泊しますが、妻とは別の宿が用意されていました。

同じ宿だと大喧嘩になる可能性があるためです。

(※東慶寺門前には柏屋・仙台屋・松本屋という三軒の御用宿があったのだといいます。)

御用宿で両者の言い分が聞き取られた後は、まず示談の話となります。

やり直すこととなる場合もあれば、夫が離縁状を提出する場合もあったようです。

しかし、示談とならかった場合はどうなるのか・・・

「妻は離縁を望み、夫は離縁状を書かない」というときは、妻は東慶寺に入山することになります。

入山するといっても尼になるということではなかったようです。

2年間の奉公を終えると、夫は離縁状を書かなければなりませんでした。

そして、離婚がかなって東慶寺を出た女性は再婚することができました。

ただし、一度駆け込んで離婚した女性が再び駆け込んできても受け付けなかったそうです。

 東慶寺

たとえ門が閉まっていても身に着けているものを投げ込めば駆け込みは成立。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~仲いい夫婦が離縁することも・・・~

妻を離縁する場合、夫は手切れ金を渡します。

その逆、妻が離縁を申し出た場合は、持参金を諦めなければなりません。


東慶寺に駆け込んだおせんの場合・・・

おせんの夫は、日本橋通り二丁目の唐物問屋を営む者。

オランダ渡りの砂糖で知られた「唐子屋」の主人。

オランダ砂糖の売れ行きが鈍ってきたため、国内産砂糖に切り替えようとするが、国内産砂糖仲間に加入するには300両を納めなければならなかった。

おせんが、婚姻のときに持参した300両を使えばいいのだが、夫は持参金はおせいのものだからとそれを使おうとしない。

夫に国内産砂糖仲間に入ってもらいたいおせいは、東慶寺に駆け込んで離縁をすることで、夫に持参金の300両を渡すことにしたのだという。


東慶寺には様々な思惑を抱えた女性が駆け込んでいたようです。

『東慶寺花だより』にはいろんな離縁が描かれています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 東慶寺

東慶寺は、八代執権の北条時宗の未亡人・覚山尼が開いた臨済宗の寺。

正式名称は松岡山東慶総持禅寺。

五世に後醍醐天皇の皇女・用堂尼が入山したことで「松ヶ岡御所」と呼ばれるようになりました。

二十世には、豊臣秀頼の娘・天秀尼が入山します。

天秀尼は、徳川秀忠の娘・千姫の養女。

徳川家康の孫です。

天秀尼は家康に「開山よりの縁切寺法が断たれることのないように」と願い出たのだといいます。

 東慶寺


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