東戸塚にある平戸白旗神社は源頼朝を祀る社。
3年に一度、例大祭の日に鶴岡八幡宮の供僧坊・相承院から送られたという遺髪に関係する宝物が公開されています。
源頼朝の遺髪は入っている箱
残念ながら、箱の中の源頼朝の遺髪を観ることはできませんでしたが、この箱の中には「金襴緞子の錦織の袋」が入っていて、その中に「遺髪」が納まっているのだとか。
※観ると「目が潰れる」という言い伝えがあるらしい。
源頼朝の遺髪の送り状
鎌倉郡永谷村東福禅寺の鎮守白旗大明神は、乾元元年(1302年)9月9日、鶴岡相承院の住職だった元智(元智は智円の前名)の時の勧請。
右大将家御鬢髪三筋を送る。
東福禅寺慶岩の希望によるもの。
といった内容です。
明和6年(1769年)10月14日に鶴岡八幡宮の供僧坊・相承院の密信から東福寺の慶巌に送られた書状のようです。
元東慶寺住職・井上禅定老師の書
相承院からの送り状の箱の蓋裏には、東慶寺の井上禅定老師の書が・・・。
「鎌倉西御門の源頼朝墓の辺には法華堂があって応永(1304年-1427年)頃から鶴岡八幡宮の相承院が管理していたことや、頼朝の遺髪一屯が頼朝の亡くなった日に
持仏堂に納められたこと、遺髪には白髪があること」という記載のある『新編相模国風土記稿』の記録を載せたもの。
東福寺は平戸白旗神社の別当寺でした。
普段、源頼朝の遺髪は東福寺が管理しているそうです。
次にこの宝物が公開されるのは3年後。
平戸白旗神社に頼朝の遺髪を送った相承院は、鶴岡八幡宮の供僧坊(二十五坊)の一つ。
1199年(建久10年)1月13日に亡くなった源頼朝は、持仏堂に葬られたのだと伝えられています。
頼朝が葬られた後の持仏堂は法華堂と呼ばれています。
現在の墓塔は、1779年(安永8年)、法華堂跡に島津重豪が建てたもの。
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平戸白旗神社と品濃白旗神社MAP
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