経俊の父・俊道は、1159年(平治元年)の平治の乱で討死。
翌年、その菩提を弔うために建てられたのが明月庵。
※北鎌倉(山ノ内)は山内氏の領地でしたが、源頼朝の挙兵時に経俊が敵対したことから没収され、土肥実実に預けられました。
📎源頼朝と山内経俊
のちの1256年(康元元年)、北条時頼は、この地に最明寺を創建します。
時頼は執権職を辞した後、最明寺で出家し、最明寺入道と呼ばれました。
※北鎌倉の山ノ内は、地頭職を務めていた土肥惟平が1213年(建暦3年)の和田合戦で処刑されたことから、北条義時が手に入れ、北条氏の領地となります。
禅興仰聖禅寺跡と刻まれた碑
時頼が亡くなった後、最明寺は廃絶しますが、子の時宗は最明寺を前身とする禅興寺を創建。
室町時代には上杉憲方が中興。
明月庵も明月院と改められ、禅興寺の支院の首位に置かれました。
明月院やぐらは、鎌倉最大のやぐら。
中央の宝篋印塔は、開基の上杉憲方のものと伝えられています。
宝篋印塔の背後には釈迦如来、多宝如来が浮き彫りされています。
その周りには十六羅漢の浮き彫りもあることから「羅漢洞」とも呼ばれます。
明月院開山の密室守厳の木像と、最明寺・禅興寺・明月院の歴代住持の位牌が祀られています。
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紫陽花寺と呼ばれるアジサイの名所
6月には境内が神秘の青に!