(明月院)
北条時頼は鎌倉幕府五代執権。
1246年(還元4年)、兄経時の跡を継いで執権に就任し、翌年の宝治合戦で三浦氏を滅ぼすなど、得宗専制政治を確立しました。
1253年(建長5年)には宋僧の蘭渓道隆を招いて建長寺を創建。
1256年(康元元年)には執権を辞して出家。
出家のために建てたという最明寺で隠居生活を送りますが、「最明寺入道」と呼ばれ、政治の実権は握り続けていました。
1263年(弘長3年)11月22日、最明寺で亡くなります。
最明寺は時頼の死後廃絶しますが、子の北条時宗が禅興寺を創建。
明月院は禅興寺の支院の首位に置かれていました。
(伊豆の国市)
北条氏の出身地・伊豆国(伊豆の国市)にある最明寺には、時頼の遺骨が分骨されているといいます。
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明月院はもうすぐ
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