東大寺の二月堂は、1180年(治承4年)の平重衡の兵火、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火にも焼け残りましたが・・・
1667年(寛文7年)の「お水取り」の最中に失火して焼失しまったそうです。
現在の建物は、その2年後に再建されたもの(国宝)。
二月堂正面の舞台
舞台から見える開山堂
東大寺の開山は良弁(ろうべん)。
相模国出身ともいわれ、神奈川県伊勢原市の大山寺を開いたのも良弁だと伝えられています。
鎌倉の由比ガ浜にある「染屋時忠邸跡碑」には、染屋時忠は藤原鎌足の四代目の子孫に当たり、東大寺を開いた良弁の父であると刻まれています。
開山堂入口
一方で、東大寺に伝わる伝説によると、良弁の両親は、観音菩薩に願ってやっと子を授かりますが、その子は金色の鷲にさらわれ行方不明となってしまいます。
あるとき、興福寺の義淵が春日大社に参詣しようとすると、途中の杉の梢に赤子をみつけました。
その子が、のちに東大寺を開いた良弁だったといいます。
二月堂の前の「良弁杉」は、そのいわれの木と伝えられています。
・・・・・・・・・・・