毎年4月の第一日曜日には、「土肥祭」が開催され、源頼朝が戦勝祈願したという五所神社から湯河原駅まで武者パレードが行われます。
2015年の土肥祭は、4月5日(日)。
土肥実平と妻の像
(湯河原駅前)
源頼朝は、1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源氏再興の挙兵を果たし、目代の山木兼隆を討ち取ると、20日、相模国へ向けて進軍を開始します。
しかし、石橋山の戦いで大庭景親、伊東祐親らに敗れ、山中に逃れます。
その逃亡を手引きしたのが土肥実平でした。
妻は「しとどの窟」に潜む頼朝に食糧を運んだと伝えられています。
「土肥祭」の武者パレードは、石橋山出陣の様子を再現したもの。
五所神社からスタートです。
源頼朝が石橋山に出陣する前夜に戦勝祈願をしたという五所神社では、9:30から神事必勝祈願が行われます。
そして、10:00から焼亡の舞・武将の名乗り・出陣の儀が行われた後、11:00に武者パレードが五所神社をスタートします。
「焼亡の舞」(じょうもうのまい)は、伊東祐親によって自分の館が焼かれるのを見た土肥実平が頼朝の前で歌い舞ったというものです。
武者名乗り
出陣の儀
そして、パレード。
パレードは湯川駅前まで。
湯河原駅前では、11:30から武将の名乗り・焼亡の舞・出陣の儀が行われます。
土肥実平の菩提寺城願寺では、12:30から頼朝主従の法要が営まれます。
石橋山の戦いに敗れ、山中を彷徨った頼朝主従は、一時箱根権現に身を寄せますが、8月28日、土肥実平が用意させた舟で真鶴から安房へ渡っています。
七騎堂には、源頼朝と、そのときに従った安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱の像が安置されています。
(千葉県鋸南町)
8月29日、頼朝主従は安房に上陸。
安房で態勢を整えた源頼朝は、10月6日、大軍を率いて相模国に入り、鎌倉を本拠として武家の都を創り始めます。
※土肥祭の写真は2013年のものです。
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