この条約の締結によって、長い間鎖国政策をとってきた日本が下田と箱館(現在の函館)を開港しました。
条約が締結されたのは横浜。
横浜人形の家のジオラマ
1854年(嘉永7年)3月8日、日米和親条約(神奈川条約)を締結するため、横浜にぺりーが来航します。
幕府は、応接地に調理場を用意し、贅を尽くした料理を出しますが、ペリーの口には合わなかったようです。
さて・・・
ペリーは蒸気機関車の模型や電信機などの贈り物を陸揚げしました。
それに対して日本側は、米200俵と鶏300羽を贈ったのだといいます。
この贈り物を運ぶため力士が動員されたそうです。
そして、応接所の表では、機関車の試運転や相撲が行われ、モールス電信機の実験のため電柱が建てられたそうです。
このジオラマには、そんな様子が描かれています。
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~横浜の歴史散歩~