別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2013年6月12日水曜日

源頼朝を暗殺しようとした平景清の伝説

平家の家人・平景清は、平姓で呼ばれていますが、藤原秀郷の子孫なのだといいます。

壇ノ浦の合戦後に逃亡して、のちに源頼朝を暗殺しようとしたと伝えられていますが定かなことはわかりません。

鎌倉の仮粧坂にある土牢跡は、源頼朝を暗殺しようとして捕らえられた景清が閉じこめられた所と伝えられています。

景清は、「悪七兵衛」と呼ばれた勇猛な武将で、屋島の合戦では、三保谷十郎の兜の錣(しころ)を引きちぎったという逸話が残されています。


 景清窟
景清窟の跡
(鎌倉:仮粧坂)

1195年(建久6年)、源頼朝東大寺大仏殿の落慶供養に参列するため上洛しました。

景清は、そのときに頼朝の暗殺を企てたといいます。


(奈良:東大寺)

東大寺転害門は、平重衡の南都焼討の兵火を免れた貴重な建物。

景清はこの門に隠れて頼朝の命を狙ったのだと伝えられています。

そのため「景清門」とも呼ばれるそうです。


 景清爪形観音
(京都:清水寺随求堂前)

清水寺随求堂前に置かれた石灯籠には、頼朝を暗殺しようとして捕らえられた景清が、牢の中で自らの爪で彫ったという千手観音が祀られているそうです。


(京都:石清水八幡宮)

景清は、石清水八幡宮を参詣した頼朝を狙ったのだとも伝えられています。

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いずれにしても、源頼朝に敗れた平家を慰めるために生まれたのが景清の伝説なのでしょう・・・。

参考までに、『吾妻鏡』によれば、景清の兄上総五郎兵衛尉忠光は、鎌倉永福寺の造営現場に現れ、源頼朝を暗殺しようとしたといいます(参考:源頼朝暗殺計画)。

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