※臣籍降下とは、皇族がその身分を離れ、姓を与えられて臣下の籍に降りること。
「源氏」は、祖とする天皇別に21流ありました。
「清和源氏」は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子経基が「源」の姓を賜り臣籍降下したのを始まりとします。
経基の子満仲は武門としての地位を築き、満仲の三男頼信は河内国を本拠としたため、頼信の系統は「河内源氏」と呼ばれるようになります。
「河内源氏」は、東国武士団を支配下に入れ、のちに鎌倉に幕府を開く源頼朝へ繋がっていきます。
清和天皇→貞純親王→経基→満仲→頼信・・・・・・→頼朝
六孫王神社は、清和源氏の祖源経基を祀る神社。
しかし・・・
明治時代に星野恒という歴史学者は、、石清水八幡宮の祠官田中家の文書として伝えられる「源頼信告文」から、源経基の系統は清和源氏ではなく陽成源氏だという説を提唱したそうです。
その告文によると頼信の系図はこうなります。
清和天皇→陽成天皇→元平親王→経基→満仲→頼信・・・・・・→頼朝
ただ、星野説は頼信の告文が原文ではなく写しであることなどから、信憑性がないということで今日まで、
清和天皇→貞純親王→経基→満仲→頼信・・・・・・→頼朝
という系図が通説とされてきました。
近年、星野説を認める学説もあるようですが決着するに至っていないようです。
源氏の氏神とされる社。
源義家が石清水八幡宮で元服したことで、武の神といわれますが、源氏は清和源氏だけではありません。
公家源氏もいました。
鶴岡八幡宮のように武家を中心として祭祀が執行されてきた神社ではないということです。
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鎌倉との繋がりを求めて・・・