清和源氏の祖源基経は、清和天皇の六男貞純親王の子であり、天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれていました。
そのため、基経の遺言により、基経の西八条邸に建てられた神社は「六孫王神社」と呼ばれています。
六孫王神社の隣地には、源実朝の妻坊門信子邸もありました。
1219年(健保7年)、源実朝が暗殺された後、鎌倉の壽福寺で出家した信子は京へ戻って、この地に実朝の菩提を弔うために大通寺を創建しました。
六孫王神社は、大通寺の守護神だったそうです。
明治に入ると、六孫王神社と大通寺は分離され、大通寺は東海道線の移設工事によって移転しています。
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鎌倉との繋がりを求めて!