巽神社は、801年(延暦20年)、蝦夷征伐に向かった坂上田村麻呂が、その途上、葛原ヶ岡に勧請したのを始まりとしていると伝えられています。
この遠征に成功を収めた田村麻呂は、いったん帰京。
翌年、陸奥国に胆沢城を築きます。
蝦夷の指導者アテルイ(阿弖流為)は、これ以上の犠牲を出してはいけないとして、モレ(母礼)ら500人とともに降伏しました。
アテルイとモレは、田村麻呂に従って入京しますが、田村麻呂の助命嘆願にもかかわらず2人は処刑されたと伝えられています。
京都の清水寺は田村麻呂の創建と伝えられ、その境内には、平安遷都1200年を期に「アテルイとモレの碑」が建てられています。