別冊『鎌倉手帳』




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2012年3月6日火曜日

北条貞時の発した永仁の徳政令

北条貞時は、1271年(文永8年)12月12日、八代執権北条時宗の子として誕生します。

母は堀内殿(覚山尼)。

1284年(弘安7年)4月4日、父時宗が亡くなると、13歳で九代執権に就任します。


しかし、初期の貞時の治世は安定しませんでした。

まだ若い貞時に代わって幕府の実権を握ったのは、伯父の安達泰盛(母覚山尼の兄)でした。

ただ、泰盛の政治は、得宗家の御内人(みうちびと)の実権を奪うものだったため、内管領の平頼綱の反感を買い、1285年(弘安8年)11月17日、泰盛は頼綱に滅ぼされます(霜月騒動)。

その後、頼綱が実権を握りますが、貞時は、次第にその政治手法に不安を抱くようになり、1293年(永仁元年)4月22日、頼綱邸を襲撃して、頼綱らを滅ぼしました(平禅門の乱)。


東慶寺

1285年(弘安8年)、貞時が創建しました。

開山は貞時の母覚山尼。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~「永仁の徳政令」の発布~

平頼綱を滅ぼし、ようやく実権を握った貞時は、新たな政治方針を明らかにし、訴訟制度の改革に着手します。

当時、蒙古襲来(元寇)の影響や、時代の進展に伴う経済事情の変化もあって、未処理のままの訴訟が山積みとなっており、御家人の所領に関する紛争が増大していました。

そうした情勢の中の1297年(永仁5年)3月6日、貞時は、御家人救済のための「関東御徳政」を発布します。

一般には「永仁の徳政令」と呼ばれています。

※現在では、「御家人の救済のため」というより「幕府草創以来の御家人体制の維持のため」という考え方が有力となっているようです。


主な内容は・・・

御家人間の所領の売買質入を禁止。

それ以前に売却した所領は、売主の御家人が無償で取り戻すことができる。
ただし、「幕府の下文・下知状のあるもの」及び「買主が20年以上知行しているもの」を除く。

非御家人や一般庶民に売買質入した所領は無条件で元の領主が取り戻すことができる。

例え幕府の下知状を根拠として訴えられたものであっても、今後、債権に関する訴訟は一切受け付けない。

というものでした。


「永仁の徳政令」は、一時的には御家人の保護救済に効果があったようですが、社会の経済的進展を無視した法令ですので、経済恐慌を引き起こす結果を招きます。

社会的にかなりの混乱を引き起こすだろうことは、その内容をみれば誰もが想像できたのでしょうが、当時は、御家人でありながら所領を持たないという「無足の者」が激増していました。

※御家人が落ちぶれてしまった原因には、分割相続制による中小御家人の零細化などもあげられます。

源頼朝以来の幕府の基盤である御家人体制を維持するためには、こうした法令を発する以外に方法はなかったのかもしれません。

また、得宗による独裁・専制政治を目指す貞時にとっては必要な法令だったのでしょう。

しかし、翌年、幕府は「永仁の徳政令」を廃止しています。


覚園寺

1296年(永仁4年)、北条貞時は、元寇が再び起こらぬよう祈願して覚園寺を建立します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~越訴の停止と得宗専制~

貞時は、「永仁の徳政令」とともに「越訴停止の法令」も出しています。

しかし、この法令は、御家人救済と矛盾するものであったため、御家人たちの反発にあい、「永仁の徳政令」とともに廃止されています。

※「越訴」とは訴訟の再審のこと。五代執権北条時頼以来、再審機関である「越訴方」は、「執権政治体制」の中で重要な位置を占めていました。


しかし、独裁を貫こうとする貞時は、1300年(正安2年)に、再び越訴を停止させ、御内人(みうちびと)に越訴方の機能を移します。

これは、幕府の機関である越訴方が、貞時個人の機関(得宗の機関)となったことを意味します。

貞時の政治は、その権力の基礎を「執権」という地位ではなく、「得宗」という個人的地位に置いていたということでしょう。

そして、貞時の時代に「執権政治」は消滅し、新たな「得宗専制政治」が確立されたといったということなのでしょう。


貞時得宗家に権力を集中させる政策は、やがて、長崎円喜などの御内人に権力が集中することとなり、幕府滅亡の原因を作り出したともいわれています。



1301年(正安3年)に貞時が鋳造させた梵鐘です。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

晩年の貞時は、連日のように酒宴を開き、享楽的な日々を送っていたといいます。

そして、1311年(応長元年)10月26日、41歳で亡くなりました。



貞時の廟所は円覚寺塔頭の佛日庵

時宗・子高時ととも祀られています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(永仁の徳政令)

京都の東寺に伝えられた「東寺百合文書」(とうじひゃくごうもんじょ)の中に、「永仁の徳政令」の内容がわかる文書があります。

画像は北条貞時六波羅探題の大仏宗宣(南方)と北条宗方(北方)に宛てた書状(東寺百合文書WEBより)。

2015年10月10日、「東寺百合文書」は世界記憶遺産登録が発表されました。


東寺





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