別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年6月1日月曜日

源頼家・・・和田胤長に伊東崎の洞穴を探検させる!


 富士山


1203年(建仁3年)6月1日、源頼家は、伊豆の奥の狩り場に出かけます。

すると、伊東崎という山中に大きな洞穴がありました。


頼家は、和田胤長に命じて洞穴の中を探索させます。

午前10時頃、胤長は、松明を灯して洞穴の中に入り、午後6時ころになって洞穴から出てきました。


胤長の報告によると・・・


「洞の中を数十里ほど進みました。

暗くてまったく光はありません。

奥へ進んでいくと一匹の大蛇がとぐろを巻いておりました。

その長さは十丈(約30メートル)ほどありましたでしょうか。

両眼が輝き、鱗には苔が生えておりました。

その大蛇が口を開いて胤長を呑み込もうとしたので、

太刀を抜いて大蛇の口を縦に切り裂きましたところ、

大蛇は地面に倒れ死にました。

その奥へは、大蛇の死体が道を塞ぎ、進むことはできませんでした」


ということだったようです。


この報告を聞いた頼家は、

「その奥を見きわめなければ意味がない」

といって不機嫌になったのだとか。


胤長は、自分の努力を認められず、残念に思いながら、頼家の前を退いたということです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

和田胤長は、侍所別当和田義盛の甥にあたります。

この時から10年後、泉親衡の謀叛計画に加わり捕らえられています(参考:和田合戦)。


頼家は、6月3日にも「富士の人穴」を仁田忠常に探索させています。

(参考:源頼家・・・仁田忠常に富士の人穴を探索させる!







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