別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年5月27日水曜日

源頼家、仁田忠常に富士の人穴探検させる!


北口本宮冨士浅間神社


1203年(建仁3年)6月3日、源頼家は、駿河国の富士の狩り場に到着しました。

すると、山の麓に大きな穴がありました。

それは、「富士の人穴(ひとあな)」と呼ばれている穴でした。

頼家は、重宝の剣を仁田忠常に与え「この穴の中に入って、奥がどうなっているか見きわめてくるように」と命じます。

(6月1日の伊豆崎の洞穴に続いての洞窟探索です(参考:源頼家・・・和田胤長に伊豆崎の洞穴を探検させる!


そして、忠常主従6人が穴の中に入って行きました。

穴の中に入った6人は、この日帰って来ませんでした。

翌日の午前10時ころ、忠常が人穴から出てきます。

往復するのに一日一夜を経ていました。


忠常の報告によると・・・


「この洞穴は一人がやっと通れる程の幅しかなく

あともどりすることができません。

その暗さといったらいいようがありません。

主従各々が松明を灯し進んで行きました。

地面には水が流れていて足が濡れました。

数え切れないほどの蝙蝠が飛び交い、われらの行く手を阻みました。

我々がよく目にする黒い蝙蝠もいますが、

白い蝙蝠も多くいました。

川の流れに従って進みますと、

小さな蛇がひっきりなしに足にまとわりついてきました。

これを切り流しながら進みますと、

血なまぐさい匂いに嘔吐したくなることもあり、

また、芳しい薫りに気分が晴れることもありました。

奥はだんだんと広くなり、

天井には氷柱(つらら)のようなものがびっしりとありました。

部下の者がいうには、

『鍾乳という石で出来たもので、仙人が不老長寿の薬とする』ということです。

さらに進んで行きますと、

足の下で急に雷のとどろく音がして、

千人ほどがいっせいに『鬨の声をあげた』かに思われるほどでした。

おそらくこれは、阿修羅の住む隠れ家の音かと・・・

さらに進んで行きますと、

少し広い場所に出ました。

四方は真っ暗で、ときどき人の泣く声が聞こえます。

まるで冥土の旅路を辿るような感じでした。

さらに進むと、

大きな川にさしかかりました。

その流れの速さは矢のように速く、その冷たさは氷よりも冷たいという感じです。

その川の向こうに光が見えました。

火が燃えている光とはあきらかに違います。

光の中には、不思議な姿をした御姿がお立ちになっています。

部下4名がそのまま気絶し死んでしまいました。

その御霊を礼拝しますと、かすかな声でお導きがあり、

頂戴いたしました御剣を川に投げ入れましたところ、

その御姿はお隠れになって、かろうじて帰還することができました」


ということだったようです。


この報告を聞いた頼家は、


「人穴の奥は天地以外の世界なのであろう。

もう一度、渡し船を造らせ、人員を増やして探索すべきである」

といったといいます。



さて、さて・・・

この頼家の人穴探索の話を聞いた古老は・・・

「この穴は浅間大菩薩のお住まいである。

昔から『中を見てはいけない』と伝えられてきた

今、将軍は、このようにその禁をお破りになった

将軍家の御命運にとって咎(とが)がないはずがない。

おそろしや」

とささやいたのだとか・・・


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

頼家は、翌月重病となり、9月には、頼家の後ろ盾だった比企能員とその一族が北条氏によって滅ぼされ、嫡子一幡も殺されています(比企氏の乱)。

そして、頼家自身は・・・

病気は快復しましたが、伊豆修禅寺に幽閉され、翌年暗殺されました。

探索をした仁田忠常も、比企氏の乱後、北条氏によって誅されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(伊豆修禅寺)

(田方郡函南町)



伊豆・箱根


比企氏の乱


修禅寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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