別冊『鎌倉手帳』




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2011年8月27日土曜日

梶原景時と石橋山の戦い~源頼朝を助けた武将~

鎌倉幕府で源頼朝の信任を得た梶原景時は、石橋山の戦いでは大庭景親の軍に属していました。

梶原氏は、大庭氏と同じく鎌倉権五郎景政を祖としていると伝えられ、梶原景時と大庭景親は従兄弟ではないかともいわれています(参考:御霊神社(坂ノ下))。


 御霊神社
(鎌倉:梶原)


鎌倉権五郎景政を祭神とする梶原の鎮守。

「梶原」という地は、梶原景時に縁のある所といわれ、御霊神社には景時の像も安置されていたといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1180年(治承4年)、源頼朝は、石橋山の戦いで惨敗し、土肥の椙山に身を隠します。

大庭景親は、頼朝を追跡しますが、追跡軍の中には梶原景時もいたといいます。



『吾妻鏡』によれば・・・

景時は、頼朝の所在を知りながら「この山には人はいない」といって、景親の手を引いて去っていったといいます。

また、別の物語では・・・

大木の洞窟に隠れていた頼朝を発見しながら、「ここには誰もいない。蜘蛛の巣ばかりだ」といって「弓の先についた蜘蛛の巣を見せた」とも伝えられています。


(頼朝が隠れ潜んだという岩窟)


いずれにしても、景時頼朝の信頼を得たのは、「椙山で頼朝を助けた」ことが大きく影響しているということなのでしょうか???


石橋山の戦い後、景時が何処で何をしていたのかはわかりませんが・・・


『吾妻鏡』によると・・・


景時は、この年の12月に土肥実平を頼り、翌年正月11日には、頼朝に面会して気に入られたといいます。

つまり、この時から頼朝の御家人となったということです。
のちに、侍所の所司(次官)にも任命されています。


 梶原景時邸跡

鎌倉での景時の館は、十二所にあったといいます。


 一宮館址
(寒川町)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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(小田原市)







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