別冊『鎌倉手帳』




okadoのブログは、『中世歴史めぐり』の別冊。
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2011年8月8日月曜日

稲瀬川の桟敷・・・源範頼の出陣

1184年(元暦元年)8月8日、源頼朝の弟範頼が平氏追討のため鎌倉を出発します。




頼朝は、この出陣を稲瀬川に桟敷を設けて見送ったといいます。
(※当時の鎌倉の西の境は「稲瀬川」付近であったと考えられています。)


範頼の行列は・・・

旗持ちと弓持ちが前を行き、
次に、範頼が栗毛の馬にまたがり、
供一千騎と乗り換えようの馬が続いていました。

(出発の2日前、頼朝は餞別の宴を催し、この時、範頼は名馬と鎧を与えられました。)




範頼軍は、稲村ヶ崎の磯づたいを進軍したのでしょうか・・・

その後、範頼は、8月末には入京し、9月2日には都を出発しています。



~範頼、京で養父に会うが・・・~

頼朝は、上洛した範頼に「京都に滞在することなく直ちに西海へ向かえ」と命令していたといいます。

義経の無断任官問題があったことから、後白河法皇をはじめとする公卿に接触させないための命令だったと考えられます。

そんな中、範頼は、京都で養父の藤原範季に会います。
(範頼の「範」の字は、範季の「範」をもらったものといいます。)

しかし、範季が範頼に養父であることを話すと、「そんなことは聞いてもいないし、知ってもいない」と答えたといいます。

頼朝の命令にかなりの効果があったということなのでしょうか・・・。



~義経は・・・~

『吾妻鏡』の8月17日条によれば・・・

義経は、頼朝に許可なく朝廷から「左衛門尉」に任ぜられたことで、今回の平氏追討への参加は認められなかったといいます。


※翌年2月には義経も参加し、屋島の戦いを経て、3月24日、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。


 源平合戦



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