別冊『鎌倉手帳』




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2011年8月9日火曜日

源実朝の誕生

三代将軍源実朝は、1192年(建久3年)8月9日に誕生しました。



『吾妻鏡』によれば・・・

1192年(建久3年)4月2日、政子が懐妊し、安産祈願としての「着帯の儀」が執り行われました。

帯は平賀義信の妻が用意し、頼朝自らが帯を締めたといいます。

7月8日、出産間近となった政子は、産所とした名越の浜御所(はまのごしょ)に移ります。

(※浜御所とは、おそらく北条時政邸のことなのではないでしょうか・・・?)

8月9日、朝早くから政子が産気づくと頼朝は、鶴岡八幡宮や相模国の神社仏寺に神馬を奉納し、安産のための誦経をさせています。


神馬を奉納し経をあげさせた
相模国の神社仏寺は27ヶ所
(参考:政子の安産祈願所

~主な祈願所~

(逗子市)

(伊勢原市)

(伊勢原市)

(平塚市)


午前10時頃、無事に男児(実朝)が生まれると・・・

悪魔払いのため、弓を鳴らす「鳴弦」と、鏑矢を放つ「引目」の儀式が行われます。

北条義時らは護刀(まもりがたな)を献上しました。

また、大江広元らによって刀と馬が献上され、これらが加持祈祷を行った験者や寺社に与えられています。

次に、乳母である阿波局が乳を与える役として参上しています。

阿波局は、政子の妹で、頼朝の異母弟阿野全成の妻です。

そして、御名字定めがあって「千万」と名付けられました。

(一般的に幼名は「千幡」という字が使われているようです。)


その後、二夜・三夜・四夜・五夜・六夜・七夜の儀式が執り行われています。

8月20日には、頼朝が浜御所を訪れ、父母がそろっている射手を選んで草鹿が催されました。


 草鹿


10月19日、政子と千万は御所に移ります。


この間、頼朝は征夷大将軍に任ぜられています。

7月20日、京より飛脚が到着し、7月12日に征夷大将軍に任ぜられたことが伝えられ、26日にはその辞令が届けられています(参考:源頼朝が征夷大将軍に任ぜられる!)。


 貴船神社泣き荒神

平塚市にある貴船神社の三面大荒神は、安産祈願所の一つだった常蘇寺の観音堂に祀られていました。

頼朝は、生まれた子の夜泣きが止まないので、三面荒神に祈願したところ夜泣きが止んだのだといいます。

そのため、「泣き荒神」と呼ばれています。


その後の主な儀式

11月5日、「御行始」が行われ、甘縄の安達盛長邸に出掛けています。


11月29日、五十日百日(いかがももか)の儀が行われます。

五十日(いかが)・・・
生後五十日の祝いで、赤子の口に餅を含ませるといいます。

百日(ももか)・・・
生後百日目のお食い初めの儀式。


12月5日、浜御所に御家人を集め、頼朝自ら千万を抱いて出御します。そして、将来の守護をするようにと丁寧な言葉を尽くし、酒が振る舞われたといいます。

そして、参列した者は、引き出物として腰刀を献じています。


 安達邸跡碑

御行始が行われた安達邸は、甘縄神明神社付近にあったと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ぼんぼり祭

8月の鶴岡八幡宮で開催される「ぼんぼり祭」

その最終日(8月9日)は実朝の誕生日。

実朝の遺徳を偲ぶ「実朝祭」が行われます。


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