別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2010年11月4日木曜日

長谷小路の散策(下馬~長谷寺)

長谷小路がどこからどこまでかは諸説あります。

一般的には六地蔵から長谷観音の交差点までとされているようですが、今回は下馬からスタートします。

長谷小路は、由比ヶ浜大通りと呼ばれています。


下馬橋
下馬四ツ角には、
かつて佐助川に架けられていた下馬橋が復元されています。
歩道のタイルは佐助川の流れをイメージしたものです。


下馬ポケットパークの掲示板
下馬には、かつて芸妓の置屋「鶴本」があったそうです。
掲示板は「鶴本」の「透かし窓」をイメージしているそうです。


日本基督教団鎌倉教会付属
ハリス記念鎌倉幼稚園
1910年(明治43年)創立の古い幼稚園です。
園舎は、「梅鉢型園舎」と呼ばれる建築物で、
鎌倉市の景観重要建築物等に指定されています。
 

江ノ電
今年で全線開通100周年。


江ノ電大町停留所跡
江ノ電は1910年(明治43年)に全線が開通しました。
開通当時は39の駅(停留所)があったそうです。
その一つが大町停留所。
電柱に駅名の看板をつけただけ駅が多かったそうです。


六地蔵
ここは昔の刑場跡地で、多くの者がここで処刑されました。
罪人供養のために六体の地蔵が建てられたそうです。


松尾芭蕉の句碑
六地蔵の後ろには松尾芭蕉の句碑が建てられています。
江戸時代に雪ノ下で旅館を経営していた俳人松尾百遊(本名:滝右衛門)が
芭蕉を偲んで建てたものといわれています。


昭和初期の建物
銀行だった建物で、
現在はバー(THE・BANK)として使用されています。


塔ノ辻
昔、道路が交差する「辻」に「塔」が建てられている所を「塔ノ辻」と呼んでいました。
長谷小路の笹目の十字路には現在も塔が残されています。


昔の公道
斜め左へ入る道は鎌倉時代の公道です。
宗尊親王が鎌倉に入るときや、
日蓮龍ノ口刑場に引き連れられるときに使用したそうです。


寸松堂
国登録有形文化財。
昭和11年、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳の店舗併用住宅として建築されました。
寺院建築と城郭建築を合体させたような建物で、
建築当初から地域のランドマークとなっています。


東海道の道標(寸松堂前)
長谷小路は旧東海道でもありました。
古くは日本武尊が東夷討伐に使用した道と伝えられています。


古い看板
長谷小路には古い商家が多く残されています。
電話番号が4文字です。


主馬盛久頸座
平家の家人であった盛久は、由比ヶ浜で斬首の刑と決まっていました。
しかし、信仰していた観音様からのお告げにより罪を許されたと伝えられています。


~長谷小路から少し裏道に入ります。~

吉屋信子記念館
https://www.yoritomo-japan.com/yosiyanobuko-kinenkan.htm


鎌倉文学館
https://www.yoritomo-japan.com/bungakukan.htm


鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)
国登録有形文化財。
鎌倉市景観重要建築物等に指定されている建物です。
 
甘縄神明神社
鎌倉最古の神社といわれています。
https://www.yoritomo-japan.com/page136amanawa.htm


加賀谷邸
鎌倉市景観重要建築物等に指定されているちる建物。


 ~再び長谷小路へ戻ります。~

のり真安齊商店
農産物の問屋卸商店です。
鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。


三 橋
稲瀬川に架かるこの橋を渡ると長谷寺の参道です。


長谷寺参道
https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm


 鎌倉手帳



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