別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年8月11日木曜日

流鏑馬~鶴岡八幡宮例大祭~

鶴岡八幡宮例大祭は、9月14日、15日、16日の3日間行われます。

14日早朝には、由比ヶ浜海岸「浜降式」が、15日には、例大祭の後、「神幸祭」が行われます。

そして、最終日の16日には、流鏑馬が奉納されます。




鶴岡八幡宮例大祭は、1187年(文治3年)8月15日、源頼朝が催した放生会がそのはじまりといわれています。

そして、放生会では流鏑馬も奉納されました(参考:鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬)。

現在は、9月16日午後1時から舞殿で儀式が行われた後、射手が騎乗して参道中央から流鏑馬馬場に入ります。一の射手が「流鏑馬始め」の命令を受けると流鏑馬が始まります。

弓馬術礼法小笠原流宗家の皆さんによる奉納です。


流鏑馬の装束は、「揚装束」(あげしょうぞく)ともいわれ、
鎌倉時代の武士の狩装束です。

流鏑馬馬場
両側にある柵は「埒」(らち)と呼ばれます。
「埒もない」という言葉がありますが、
「とりとめもない」というような意味で使われます。
一説には、「埒(柵)がなく収まりがつかない様子」
がその語源だともいいます。

(らち)
よく見ると柵の高さが違うのがわかります。
馬が走る方向の左側が高くなっていて「雄埒」、
右側はやや低く「雌埒」と呼ばれるそうです。

雄埒の高さは三尺五寸(1m06㎝)
雌埒の高さは二尺七寸(82㎝)
埒の幅は弓一丈(七尺五寸(2m27㎝))


鶴岡八幡宮流鏑馬は、直線百四十間(254.54m)の流鏑馬馬場に、
一の的、二の的、三の的を設けられます。
この的を馬を走らせ、気勢の声をあげながら、次々に射ていきます。


馬場元から一の的までは二十間(約36.36m)
一の的から二の的までは四十間(約72.72m)
二の的から三の的までは四十三間(約78.18m)




的は一尺八寸(55㎝)角の正方形の杉板で、
青竹に挟まれます。
高さは六尺(1m82㎝)。


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(流鏑馬に残された逸話)

熊谷直実  ★諏訪盛澄  ★河村義秀

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鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬

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鶴岡八幡宮例大祭
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatiman-reisai.htm


浜降式

神幸祭

流鏑馬神事

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鶴岡八幡宮では、春の「鎌倉まつり」でも流鏑馬が行われます。
(参考:東日本大震災復興支援「流鏑馬」


鶴岡八幡宮例大祭
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatiman-reisai.htm
流鏑馬神事
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/yabusame.htm
鶴岡八幡宮
https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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