仏行寺の源太塚
笛田の仏行寺の裏山にある「源太塚」には、梶原景時の子景季の片腕が葬られていると伝えられています。
源頼朝が亡くなった1199年(正治元年)、鎌倉幕府の有力御家人梶原景時は、結城朝光を源頼家に讒言したことから、御家人66人から弾劾に遭います。
鎌倉を追放された景時は、翌年、京へ向けて出発しますが、駿河国清見関で在地武士と合戦となり、子の景季とともに討死しました(参考:梶原景時の変)。
仏行寺はツツジの名所として知られています。
源太塚もツツジで囲まれています。
仏行寺
景季の妻信夫(しのぶ)は、
景季が死ぬと悲しみのあまり自害したと伝えられています。
仏行寺は、
信夫の霊を慰めるために村人によって建てられた寺であるといいます。
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しのぶ塚 鎌倉山の「しのぶ塚」は、源太塚と向き合って建てられているといいます。 |
~名馬「磨墨」と宇治川の先陣争い~
宇治川の戦いに参加した梶原梶原景季と佐々木高綱は、ともに頼朝から賜った名馬に乗っていました。
景季の馬は「磨墨」(するすみ)、高綱の馬は「生食」(いけづき)です。
名馬に乗った二人の武将は、宇治川を渡る際に先陣争いをしています。その結果は佐々木高綱が先陣を切っています。
(参考:宇治川の先陣争い~高綱の生食と景季の磨墨~)
東京大田区の万福寺の「磨墨」像 (万福寺は梶原景時の菩提寺) https://www.yoritomo-japan.com/manfukuji.htm |
仏行寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page139butugyoji.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html