現在の英勝寺が建てられている付近が智岸寺ヶ谷です。
『新編鎌倉志』には、「智岸寺ヶ谷は英勝寺の境内なり」とあるようです。
英勝寺は智岸寺の跡地に建てられました。
~どこも苦地蔵~
瑞泉寺の地蔵堂
瑞泉寺の地蔵堂に安置されている「どこも苦地蔵」は、
智岸ヶ谷の地蔵堂に安置されていたものといわれています。
のちに瑞泉寺に移されたといいます。
その頃すでに「どこも苦地蔵」と呼ばれていたようです。
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「どこも苦地蔵」には、次のような伝説が残されています。
地蔵堂の堂主が貧しさのあまり逃げだそうとすると、夢枕にお地蔵さまが現れて、
「どこも、どこも」
と告げたそうです。
堂主は
「苦しいのはどこにいっても同じだ」
と悟ったのだといいます。
~阿仏尼の墓~
阿仏尼の墓
阿仏尼は、息子の正当性を幕府に訴えるために鎌倉へやってきました。
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阿仏尼は、1277年(建治3年)、訴訟のため鎌倉へ向かいます。
その時の紀行文が『十六夜日記』です。
阿仏尼は、訴訟の結果が出る前に亡くなったようですが、亡くなったのが鎌倉なのか、京に戻ってからなのかは説が分かれています。