別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年4月14日木曜日

伝説の静桜~鶴岡八幡宮~

鶴岡八幡宮流鏑馬馬場(東の鳥居付近)には、福島県郡山市の静桜が植樹されています。

写真は、今年の4月13日のものです。まだ小さい木ですが、たくさんの花を咲かせていました。


静桜
福島県郡山市は、静御前の聖地の一つです。


静御前は京の白拍子で、源義経の愛妾として知られています。

義経が兄頼朝と対立して都を落ちるとそれに同行しました。

しかし、逃亡途中の吉野で義経と別れます。

その後、捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきました。

頼朝義経の行方を尋問しますが、静は拒否し続けたといいます。


静の舞

4月8日、静は頼朝に命じられて「舞」を披露することになります。

静は、今様を歌いながら舞いました。


よし野山みねのしら雪ふみ分けていりにし人のあとぞこいしき

しづやしづしづのおだまきくり返し昔を今になすよしもがな


その素晴らしさに参列した者はみな感嘆したといいます。

頼朝は、義経を慕う歌に激怒したということですが、妻政子になだめられたと伝わっています。

(参考:静の舞~鶴岡八幡宮~




静は鎌倉で義経の子を出産しています。

しかし、生まれたのが男子だったため由比ヶ浜に捨てられてしまいます。

(参考:母と子の悲しい運命・・・静御前

9月16日、静は傷心のまま鎌倉を去ったと伝えられています。

その後の静の消息は定かではありませんが、全国各地に静御前の伝説が残されています。




福島県郡山市には静御前堂という堂があります。

静は、奥州に落ちた義経を慕ってこの地まで辿りつきますが、会うことは叶わず、池に身を投げて短い生涯を遂げたと伝えられています。

静御前堂の前には、「義経桜」と「静桜」が植えられ、裏手には、静の霊を鎮めるために植えられたという「さいはら桜」があるそうです。



鶴岡八幡宮
https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm
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