日朗上人御荼毘所 |
日朗は、日蓮の弟子です。
「自分が最初に出家をし、黒髪を剃り落とした懐かしい松葉ヶ谷で荼毘に付してほしい。」
という遺言から、この場所で火葬されたと伝えられています(安国論寺)。
光則寺(長谷)の土牢
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1271年(文永8年)、日蓮は捕らえられ佐渡流罪となります(龍ノ口法難)
そのとき日朗も捕らえられ、光則寺の裏山にある土牢に幽閉されたと伝えられています。
土牢の傍らには、日蓮が日朗に送ったという手紙「土牢御書」の石碑が建てられています。
日朗の廟所 |
安国論寺で荼毘に付された日朗は、逗子の法性寺に葬られたと伝えられています。
法性寺は、松葉ヶ谷法難の際に日蓮が白猿に導かれて避難した場所といわれ、日朗の廟所がある奥の院には、日蓮が避難したという岩窟が残されています。
安国論寺
https://www.yoritomo-japan.com/page126ankokuronji.htm
法性寺
https://www.yoritomo-japan.com/page126hosshoji.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html