別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年11月3日水曜日

源頼朝創建の鎌倉三大寺院

鎌倉武家都市計画の中心

~鶴岡八幡宮(寺)~

鶴岡八幡宮
https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm

1180年(治承4年)、源氏再興の旗挙げをし、見事に鎌倉入りを果たした源頼朝は、先祖源頼義が京都石清水八幡宮を勧請した鶴岡若宮(又は由比若宮、現在の元八幡)を、小林郷北山に遷します。

はじめは仮社的なものだったようですが、翌年には本格的な社を造営しました。


由比若宮


石清水の井
(由比若宮)

旗立の松
(由比若宮)


上宮から見る若宮大路
https://www.yoritomo-japan.com/wakamiya-oji.htm

参道の若宮大路は、1182年(寿永元年)、頼朝の妻北条政子の安産祈願のために造営されたといわれています(この年、嫡男頼家(のちの二代将軍)が誕生しています。)。

若宮大路と一緒に造営されたと考えられる「段葛」は、現在も三の鳥居から二の鳥居の間に残されています。

「段葛」は、造営当初、一の鳥居まで続いていたといわれていますが、江戸時代には下馬(現在の下馬四ツ角)までとなり、明治22年の横須賀線開通に伴って二の鳥居までとなりました。

太鼓橋
https://www.yoritomo-japan.com/page041taikobasi.htm

若宮大路と同じくして源平池も造営されています。太鼓橋もそのときに架けられていたと伝えられています。


幻の寺・・・父義朝の菩提を弔うために建てた寺

~勝長寿院~

勝長寿院跡
https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm

源頼朝は、1185年(文治元年)、父義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立します。

当時は「大御堂」とも呼ばれ、現在もその名が地名として残っています。

頼朝、妻政子、二男実朝は、この勝長寿院に葬られたものと考えられます。

源義朝と郎党鎌田政長の五輪塔


幻の寺・・・奥州藤原氏の栄華に魅せられた頼朝

~ 永 福 寺 ~

永福寺跡

永福寺は、1192年(建久3年)、源頼朝が奥州の「中尊寺」や「毛越寺」を模して建てた壮大な寺院でした。

義経と奥州藤原氏の霊魂を静めるために建立したといわれていますが、それとともに頼朝自身の権勢を世に知らしめるためだともいわれています。 


永福寺跡




 鎌倉手帳



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