別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月13日土曜日

水道路から来迎寺・五所神社・實相寺・補陀洛寺・弁谷

水道路
小町大路の水道路交差点を長勝寺方面へ進むと・・・
このような分かれ道になります。道沿いに真っ直ぐ進めば長勝寺です。
右に入って、最初の路地を右に入れば来迎寺五所神社實相寺が並ぶ道です。
小町大路と平行に通っています。

分岐地点には馬頭観音。

裏側には稲荷社

能蔵寺側溝新設工事の寄附者の名が連なっています。
能蔵寺というのは、源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建てた真言宗の寺です。
現在の来迎寺の前身です。
来迎寺は音阿によって時宗に改宗されています。)

来迎寺
「子育観音」と「三浦大介義明の墓」を案内する道標が建てられています。
来迎寺の子育観音は、鎌倉観音巡の札所となっています。
三浦大介義明は、代々の源氏に仕えた武将で、
三浦軍は、石橋山の合戦に駆けつけましたが間に合いませんでした。
その帰路、由比ヶ浜畠山重忠軍に遭遇し、義明の孫、多々良重春が命を落としています。
その後、義明衣笠城畠山重忠に攻められ。義明は自刃しました。
義明の嫡男義澄は衣笠城を脱出し、
真鶴から船出して安房へ向かう源頼朝と海上で出会ったといわれています。
来迎寺は、「ミモザの木」でも知られています。

五所神社
材木座の鎮守。
https://www.yoritomo-japan.com/page135goshojinzya.htm

實相寺
有名な「曾我兄弟の仇討ち」事件によって討たれた、
工藤祐経の屋敷があった所と伝えられています。
祐経の孫で日蓮に帰依した日昭によって開かれました。

日昭の墓


この稲荷を右に行けばすぐに小町大路。
http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_11.html


左に行けば補陀洛寺

補陀洛寺
源頼朝lが文覚に命じて創建した真言宗の寺です。
頼朝像(自作)、文覚上人裸形像(自作)が安置されています。
本堂前のサルスベリは、かなりの古木です。

弁谷(べんがやつ)
補陀洛寺の東側の谷は、弁ヶ谷(べんがやつ)と呼ばれています。
千葉常胤の屋敷があったとされ
常胤を「弁ヶ谷殿」といったことから、この地名がつけられたといいます。
かつては、北条高時が建てた崇寿寺があった地です。
弁谷から材木座霊園を越えて大町に通ずる道もあります。
(参考:https://www.yoritomo-japan.com/kamakura-sanpo2.htm(鎌倉散歩道))

材木座霊園


 鎌倉手帳



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