別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2025年8月23日土曜日

片鐙の礼~流鏑馬の礼儀 鶴岡八幡宮例大祭~




流鏑馬の射手は乗馬の際に鐙(あぶみ)に足を置きますが、高貴な人の前や神の前を通るときには「片鐙をはずす」のが礼儀(片鐙の礼)。


流鏑馬は疾走する馬上から鏑矢を放ち的を射る弓術。

乗馬すると姿勢は不安定となり、弓を使うののは極めて困難です。

そのため、両足を鐙に置いて踏ん張ることで安定したな姿勢を確保します。

「片鐙をはずす」(片方の足を鐙からはずす)という行為は・・・

自分を不安定な姿勢にして相手に戦意がないことを示す行為なのだそうです。


鶴岡八幡宮で行われる流鏑馬でも、神前を通るときには「片鐙の礼」が行われています。




小笠原流流鏑馬は、源頼朝の弓馬の師範だったという小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた武家礼法。

七代貞宗は弓術・馬術に礼法を加え、小笠原流礼法中興の祖と呼ばれています。

9月14日から16日は鶴岡八幡宮例大祭

最終日には小笠原流流鏑馬が奉納されます。



流鏑馬


小笠原流弓馬礼法



鶴岡八幡宮例大祭








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浜降式:鶴岡八幡宮例大祭

神幸祭:鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮



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2025年8月22日金曜日

教恩寺の阿弥陀如来~南都焼討の平重衡と鎌倉の源頼朝~


阿弥陀如来


鎌倉の教恩寺阿弥陀如来像は、平重衡の念持仏だったと伝えられているもの。

平重衡は平清盛の五男。

1180年(治承4年)12月28日、奈良の東大寺興福寺を焼いた武将として知られています(南都焼討)。

1184年(寿永3年)2月7日の一ノ谷の戦いでは、生田の森を守備していましたが、梶原景時らに捕えられてしまいました。

鎌倉に送られてきた重衡は、源頼朝からこの阿弥陀如来像を与えられたのだといいます。

運慶作とも伝えられている像ですが、快慶風の作風が感じられる像として、神奈川県の有形文化財に指定されています。



1185年(元暦2年)3月、壇ノ浦で平家が滅亡すると、鎌倉の重衡は南都に引き渡されることとなり、6月23日、木津川で斬首されました。

京都にある重衡の墓は、妻の藤原輔子が建てたもの。

そこには東大寺復興の大勧進・俊乗坊重源の気遣いがあったのだとか。



教恩寺


南都焼討









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南都焼討後の復興事業で活躍したのが運慶率いる慶派仏師。

運慶


東大寺

東大寺南大門



興福寺

興福寺北円堂


2025年9月9日から
運慶 祈りの空間


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春岳院~大和郡山城下にある豊臣秀長菩提寺~




春岳院は、大和郡山城主だった豊臣秀長の菩提寺。

鎌倉時代に創建された寺院で、当初は東光寺と呼ばれていました。

秀長の菩提寺だった大光院が京都の大徳寺に移されたことで、墓所と位牌の管理を任されたのだといいます。

現在は改修工事のため見学できませんが、12月には改修工事が完了する予定。




大和郡山城


大納言塚


豊臣秀長


金魚のまち








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運慶


興福寺北円堂


2025年9月9日から
運慶 祈りの空間


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2025年8月21日木曜日

小田原の板橋地蔵尊大祭~源頼朝が信仰した地蔵尊かも?~




8月23日、24日は小田原市板橋の旧東海道沿いにある板橋地蔵尊の大祭。

この日に参ると亡くなった身内と瓜二つの顔の人に出会えるのだとか・・・。

初日の23日には旧東海道沿いに多くの露店が並びます。


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~箱根の金銀の地蔵尊~

かつての箱根には金銀の地蔵尊が祀られていました。

金が日金山、銀が白銀山。

日金山東光寺の地蔵尊は、伊豆の流人だった源頼朝が信仰したことで知られています。

そして、白銀山に祀られていたのが、板橋地蔵尊なのだといいます。

白銀山から真鶴岬へと下る道は、石橋山の戦いに敗れた頼朝が歩いた道といわれています。

頼朝は真鶴から安房国に渡って再挙しますが、もしかすると、白銀山の地蔵尊に戦勝を祈願していたかもしれません。



板橋地蔵尊大祭


小田原城









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伊豆・箱根


伊豆山神社

箱根神社

三嶋大社


歴史めぐり源頼朝


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運慶の木造仏頭~興福寺の釈迦如来像~




この木造仏頭は、興福寺西金堂の本尊だった丈六釈迦如来像の頭部。

釈迦如来像は、奈良仏師の正系で鎌倉に下向して源頼朝勝長寿院の造仏を任された成朝の作と伝えられてきましたが・・・

近年の研究では1186年(文治2年)頃に運慶が造立したものとされています。



運慶


興福寺


興福寺北円堂


2025年9月9日から
運慶 祈りの空間








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南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~


東大寺


歴史めぐり源頼朝


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小笠原家の紋~小笠原流流鏑馬~




武家礼法の小笠原家の紋は「三階菱」。

小笠原家七代当主の小笠原貞宗は、後醍醐天皇から「小笠原は日本武士の定式たるべし」と称えられ、家紋として「王」の字を賜ったのだといいます。

三階菱は「王」を模したもの。

貞宗は、小笠原流礼法中興の祖といわれています。


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流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢を放ち的を射る弓術。

小笠原貞宗は、弓術・馬術に礼法を加えました。

鶴岡八幡宮例大祭では小笠原流流鏑馬が奉納されます(9月16日)。



流鏑馬


小笠原流弓馬礼法



鶴岡八幡宮例大祭








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浜降式:鶴岡八幡宮例大祭

神幸祭:鶴岡八幡宮例大祭


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