別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年5月23日月曜日

静御前と子の悲しい運命


京の白拍子だった静御前

源義経に気に入られ妾となりました。


源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。

義経一行は九州へ渡るため摂津国の大物浦から船出しますが難破。

わずかな郎党と静を連れて吉野山に身を隠しますが・・・

義経と静は吉野山で別れます。


その後、蔵王堂に辿り着いたところを捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました。

安達新三郎清経邸が宿舎とされたといいます。

そして、頼朝から鶴岡八幡宮で舞うように命じられたのは4月8日の灌仏会のときでした。


静の舞


吉野山 峰の白雪 ふみわけて入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し昔を今に なすよしもがな




その後も静は鎌倉に留め置かれました。

義経の子を身籠もっていたからです。


『吾妻鏡』によれば・・・


静は、閏7月29日、安達新三郎の家で男子を出産します。

生まれてくるのが女子であれば命は助けられたのでしょうが、男子の場合は将来に憂いを残すので殺される運命にありました。


頼朝は、新三郎に生まれた赤子を由比ヶ浜に捨てるように命じます。

新三郎は静から赤子を受け取ろうとしますが・・・

静は赤子を衣に包んで抱き伏せながら泣き続けたといいます。


しかし、助命の願いは叶わず、ついに磯禅師が静から赤子を押し取り、新三郎に渡してしまいます。

これを聞いた北条政子も頼朝に助命を願いますが聞き入れられず、生まれたばかりの赤子は由比ヶ浜で殺されました。


由比ヶ浜


「誕生したばかりなのに生きることが許されない」

母が義経の妾だった故の運命でした。


平清盛に助命されたおかげで、源氏再興の願いを叶えた頼朝ですので、その仲が修復不可能となった義経の子を生かしておくわけにはいかなかったのでしょう。


静桜


それから2ヶ月後の9月16日、静と磯禅師は、北条政子と娘の大姫から多くの重宝を賜り帰洛します。

(※静は、勝長寿院でも大姫のために舞ったといいます。)。

その後の静の消息はわかりません。


一説には、由比ヶ浜に身を投げたともいわれています。

また一説には、義経を慕って奥州へ向かったのだともいわれています。

鶴岡八幡宮流鏑馬馬場静桜は、静の終焉の地とされる福島県郡山市の静桜が植樹されたものです。


鶴岡八幡宮舞殿







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

吉野山

金峯山寺

鶴岡八幡宮


源義経

静の舞

静の舞


よりともジャパン.com


静の舞に感動した北条政子




1186年(文治2年)4月8日、源頼朝と御台所の北条政子鶴岡八幡宮を参詣します。

この日、若宮の回廊では、源義経の愛人だった京の白拍子・静御前が舞を披露しました。


鶴岡八幡宮


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『北条九代記』によると・・・

が今様の名手で、舞も世間に並ぶものがないほどすぐれていると聞いていた政子は、静を召しだして舞わせることを提案していたのだそうです。

しかし、静は義経との別れに悲しみ沈んで病気になっていました。

それでも、「八幡大菩薩にささげる幣帛に見立てたいから」という理由を付けると、静は断りきれずに鶴岡八幡宮に参上します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『吾妻鏡』と『北条九代記』によると・・・

若宮の回廊に舞台が設置され、工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を担当。

は白雪曲(はくせっきょく・古琴曲)に舞うかのごとく白い袖をひるがえし、歌声は黄竹子(こうちくし・呉声歌曲)を歌いあげるかのように美しく、その声は空いっぱいに響き渡り、梁の塵を動かすほどの見事さで、見ていた者は上下の別なく感動しました。


しかし、静が歌ったのは義経を慕う歌。


吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき

(吉野山の峰の白雪を踏み分けて、山深くお入りになってしまった義経様の跡が恋しい)

しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな

(糸を繰り返し巻いてできる苧環(おだまき)のように、時をも繰り返して、華やかであった昔と悲しい今を変えることができればよいのに)


頼朝は、

「八幡宮の御宝前で芸を披露するなら、鎌倉幕府の永遠の栄華を祝うべきであるのに、はばかることもなく義経を恋い慕って、離別の悲しさを歌うとは、とんでもない」

として激怒しますが・・・

政子は頼朝にこう言います。

「かつて流人として伊豆にいらっしゃったとき、あなたと私は結ばれましたが、『平家全盛の時だけに、平家に知られたら大変なことになる』と恐れた父の時政は、私をひそかに家の中に引き込めました。

それでも私はあなたを想い、暗い雨の夜に灯もともさず、激しい雨に打たれながら、あなんたの所へ逃げていったのです。

石橋山の戦いの折には、一人で走湯権現に逃れ、あなたの行方を知りたい一心で、夜となく昼となく肝をつぶし、毎日生きた心地もしませんでした。

今の静の胸中は、かつての私の胸中と比べて「そうだろう」と思わせるものです。

静の貞節さを思うと、まことに趣深く感じられます」

この政子の話に頼朝は怒りを解いたのだとか・・・

そして、卯花重(うのはながさね)の衣を脱いで、御簾の外に出すと、静はこれを頂戴してうちかぶり退場したのだといいます。



静の舞




源義経

静御前


吉野山







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


義経の最期~鎌倉殿の13人第二十話~


第20話では、逃亡生活を送っていた義経平泉に戻りますが・・・

藤原秀衡が死に、庇護者を失った義経は、秀衡を継いだ泰衡に攻められ自刃しました。

その間、義経の子を身籠っていた静御前は・・・

鎌倉で出産し、生れた子は由比ヶ浜に捨てられ・・・

行方知れずとなりました・・・


次回は奥州征伐、そして、上洛




高館義経堂は、源義経が最期を迎えた場所といわれています。



のちに、高館を訪れた松尾芭蕉は、「夏草や 兵共が 夢の跡」と呼んでいます。



中尊寺金色堂の須弥壇には、藤原清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が納められています。

中尊寺は奥州藤原氏初代の清衡が伽藍を整備した寺院。


毛越寺境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されています。

毛越寺は、二代基衡が建立した寺院。



観自在王院は、毛越寺の東に接して二代基衡の妻(安倍宗任の娘)が建てた寺院。



無量光院は、三代藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院。



柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられています。




中尊寺の入口には弁慶の墓が建てられています。



藤原氏が信仰した金鶏山の麓には、郷御前と子の墓





源義経

藤原秀衡


静御前

弁慶


静の舞


奥州平泉

奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


歴史めぐり源頼朝








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2022年5月22日日曜日

『吾妻鏡』が伝える平泉の無量光院




『吾妻鏡』は無量光院について以下のように伝えています。


秀衡が建立。

堂内の四方の扉には、観無量寿経の大意を描き、秀衡の狩猟の様子も描かれている。

本尊は、丈六の阿弥陀。

三重の宝塔や院内の装飾は、全て宇治の平等院を模している。








奥州平泉

奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


源義経

藤原秀衡

源義経最期の地

歴史めぐり源頼朝








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com