別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年5月23日月曜日

義経の最期~鎌倉殿の13人第二十話~


第20話では、逃亡生活を送っていた義経平泉に戻りますが・・・

藤原秀衡が死に、庇護者を失った義経は、秀衡を継いだ泰衡に攻められ自刃しました。

その間、義経の子を身籠っていた静御前は・・・

鎌倉で出産し、生れた子は由比ヶ浜に捨てられ・・・

行方知れずとなりました・・・


次回は奥州征伐、そして、上洛




高館義経堂は、源義経が最期を迎えた場所といわれています。



のちに、高館を訪れた松尾芭蕉は、「夏草や 兵共が 夢の跡」と呼んでいます。



中尊寺金色堂の須弥壇には、藤原清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が納められています。

中尊寺は奥州藤原氏初代の清衡が伽藍を整備した寺院。


毛越寺境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されています。

毛越寺は、二代基衡が建立した寺院。



観自在王院は、毛越寺の東に接して二代基衡の妻(安倍宗任の娘)が建てた寺院。



無量光院は、三代藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院。



柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられています。




中尊寺の入口には弁慶の墓が建てられています。



藤原氏が信仰した金鶏山の麓には、郷御前と子の墓





源義経

藤原秀衡


静御前

弁慶


静の舞


奥州平泉

奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


歴史めぐり源頼朝








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